考古学的研究
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イヌが最初の馴化(家畜化)動物であることは、考古学的遺物からも間違いない。最古のイエイヌの骨であるかもしれないものとして、以下のものが挙げられる。 シリア・ドゥアラ洞窟にあるネアンデルタール人の住居遺跡(約3万5千年前?、ムスティエ文化(ムスティリアン文化))から発掘されたイヌ科動物の下顎骨: 埴原和郎らが発掘。オオカミの下顎骨に比べて小さく、これを世界最古のイエイヌとする説がある。 ウクライナ・マルタ遺跡などで出土した、イヌ科動物の骨: オオカミにしては小型。同じくウクライナのメジン遺跡(約3万年前)でもイヌの骨が出土している。 ロシア・ウラル山脈の東に位置するアフォンドバ遺跡(約2万年前、ムスティエ文化)で発見された犬の骨 アラスカ・ユーコン地方で発掘されたイヌの骨: 少なくとも2万年以上前のものと見られる。また、同じアラスカのオールドクロウ川沿岸で、1万8千~2千年前のものと推測されるイヌの骨が発見されている。ただし、(これと同じものについてのものかどうかは不明だが、)ポーキュパイン川沿岸の洞窟で発見された「イヌ科動物の折られた歯」は、実はクマの歯であった、とする論文もある。 ドイツ・オーバーカッセル遺跡(Oberkassel, 約1万4千年前)から発見された、イヌまたは馴化されたオオカミの骨 イスラエルのアイン・マラッハ遺跡(Ein Mallaha/Ain Mallaha/Eynan, 約1万2千年前)で発見されたイヌ科の若獣(子犬?)の骨: 同じ場所で発見された高齢の女性の遺体は、左手をこの4~5月齢の子犬の体にかけた形で埋葬されていた。同じイスラエルのハヨニム洞窟遺跡(Hayonim Cave, 約1万2千年前)からも、イヌまたは馴化されたオオカミの骨が発見されている。 イラク・パレガウラ洞窟遺跡(Palegawra Cave, 約1万2千年前)から出土したイヌの骨: 歯が詰まった小さな下あごや、小さな鼓室胞など、イヌの明瞭な特徴が認められる。 一般的には、アイン・マラッハ遺跡など、前1万2千年ごろの西アジアのもの、あるいは前1万4千年ごろのオーバーカッセル遺跡のものを「最古のイヌ」として挙げる資料が多い。前1万2千年ごろは、中石器時代のナトゥーフ文化 Natufian culture 初期に当たり、主要な狩猟具が石斧から細石器(小さな石のやじり)へと移行した時期である。狩猟の形態の変化が、イヌの利用と何らかの関わりをもつ可能性もある。
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考古学的研究
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殷墟から出土した甲骨文によれば、帝辛は歴代王と同様に祖先祭祀に努めたことが判明している。また、甲骨文の研究からは前代まで続いていた人身御供を取りやめたのは帝辛だったことが判明している。 帝辛の代に「東の人方(東夷)と言う部族を討ち国勢は盛んになった」と見なす研究がある。しかし盂方の離反と鎮圧などで国力が不安定になったと見る研究もある。殷周革命は、周が衰えた殷に取って変わったというよりは、東方の経略に注意が向きすぎていた隙を突いて滅ぼしたとする説が最近では有力視されている。周の地で出土した甲骨文の記述によると、周が密かに殷の東方に位置する部族へ連携を申し込んだ記述が認められる。
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