「大参事」任命・辞退とは? わかりやすく解説

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「大参事」任命・辞退

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 01:01 UTC 版)

千坂高雅」の記事における「「大参事」任命・辞退」の解説

明治2年4月8日千坂高雅謹慎解かれる版籍奉還後の米沢藩人事で、明治2年12月晦日 朝廷より「千坂高雅(嘉遯斉)を大参事任命する太政官辞令と共に三条実美より上杉斉憲宛に「千坂有用な人材なので、懸念なく大参事登用するよう」に求める旨の書が届く。 これは千坂大参事就任を願う宮島誠一郎三条側近への働きかけ影響したようだが、千坂にとっては想定外のことだった。 「色部家の家名断絶への負い目奥羽越列藩同盟諸藩家老多く戦死首謀者として処刑されているのに、自分一人だけが朝廷政務参与するようになっては、天下顔向けできない」という心境から、大参事就任固辞。 しかし、藩から辞退受け入れられず、明治3年1月1日登城し太政官辞令拝受。 しかし、病気称して出仕せず、7月3日太政官から辞任許される翌年千坂三条実美岩倉具視面会した時に岩倉千坂大参事辞任理由質した際に「君の官軍対す抵抗は実に見事で君の才略一躍有名になった。その上、自ら首謀者名乗り国論統一し、さらに庄内説得して恭順導いた忠誠は、政府でも先刻承知しておる」と述べている

※この「「大参事」任命・辞退」の解説は、「千坂高雅」の解説の一部です。
「「大参事」任命・辞退」を含む「千坂高雅」の記事については、「千坂高雅」の概要を参照ください。

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