「大命拝辞」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 14:16 UTC 版)
大命降下は、必ずしも事前に本人の承諾を得てから行われるわけではなかったので、大命を受けた候補者が組閣に着手せずにすぐに辞退することもあった。大命の辞退を当時の新聞用語で「大命拝辞(たいめいはいじ)」と称した。 また、本人に務める意志があっても、閣僚が揃わず、組閣に失敗して不本意な辞退に追い込まれることもあった。特に、軍部が要望しない人物に大命が降下した場合、陸海軍両大臣職の成り手が得られずに組閣できない場合があった。陸軍大臣・海軍大臣は軍部大臣現役武官制により候補者が限定されており、現役武官制が廃止され予備役の将官を大臣に任命することができる時期であっても、最高幹部である陸軍の参謀総長や海軍の軍令部総長などの推薦なしに一本釣りで陸海軍大臣を任命することは事実上不可能だった。1914年(大正3年)の清浦奎吾の組閣失敗はその一例である。このような事態を当時「流産」と称した。
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