幻の「徳川内閣」とは? わかりやすく解説

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幻の「徳川内閣」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:54 UTC 版)

徳川家達」の記事における「幻の「徳川内閣」」の解説

1914年大正3年3月26日山本内閣総辞職したのを受けて27日元老会議開かれたが、その場組閣勧められ松方正義老齢理由辞退し代わりに貴族院議長家達推挙した山縣有朋は「徳川公は中正の人にして、門閥と云ひ徳望と云ひ、首相とするに申分なし」と述べつつも「行政上の経験」もなく「其の手腕力量の如何を知ら」ない点が不安で、そもそも家達組閣の大命拝受する疑問呈した。それに対して松方平田東助平山成信といった貴族院議員たちに状況聴取したうえで判断する述べて散会となった元老会議平田平山意見聴取することとしたのは山本内閣倒閣追い込んだ貴族院(特に幸倶楽部派)の意向重視しためだった家達貴族院議長として貴族院反発受けない人物であることが貴族院対策として重要だったからである。また家達政友会との関係が良好だったから「徳川内閣」なら衆議院対策安定する考えられた。 平田は、家達組閣するなら「貴族院全体一致にて之を歓迎」するだろうが、家達大命拝受するかは不明であり、事前に家達意向聴取すると恐らく拝辞する思われるので「出し抜け」に大命降下した方が家達受け入れ可能性が高いと報告した。そのため元老会議事前に家達打診せずにただちに家達を奏推することで決定し元老たちは参内し大正天皇後継首相下問に対してその旨奉答大正天皇はこれを認め家達参内命じた3月29日10時参内し家達大正天皇より組閣の大命があった。即答避けて翌日奉答するとして退下したが、内大臣伏見宮貞愛親王に対しては「行政につきて何等経験もなく、今日難局処する所以につきても、亦何等自信なし、万一自ら量らずして、大命奉じ徒らに紛糾重ぬるが如きことありては、却って不忠不臣の責を免かれ」ないので拝辞する意向示した元老会議平山家達千駄ヶ谷邸に派遣して説得あたったが、平山によればこの時も家達は「時局につきて何ら自信もなく、且つ是れまでに平大臣にても務めた経験あらば兎も角も曾て何ら経験もなきに、徒らに大命拝受しては、却って不忠不義の臣」になるため拝辞する述べたという。家達決意固いことを確認した元老会議は「徳川内閣」を断念し次の候補者選定開始した結局第2次大隈内閣成立するのだが、三週間もの政治的空白生じ事態となった。 しかし組閣失敗して大命拝辞ではなかったので、この件が家達大きな政治的失点になることはなく、この後貴族院議長在職し続けた当時の『東京朝日新聞』(大正3年3月30日)も格別自信があるならともかく、ただ漫然と大命拝受するはやめた方がよく、何か問題があれば本人のみならず一門全体にも迷惑がかかることになる、まだまだ春秋に富む身であり、今後君国尽く機会はあるはずなので今回拝辞賢明であるという旧臣貴族院議員某の意見載せている。

※この「幻の「徳川内閣」」の解説は、「徳川家達」の解説の一部です。
「幻の「徳川内閣」」を含む「徳川家達」の記事については、「徳川家達」の概要を参照ください。

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