幻の「鰻香内閣」とは? わかりやすく解説

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幻の「鰻香内閣」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 07:38 UTC 版)

鰻香内閣」の記事における「幻の「鰻香内閣」」の解説

1914年3月24日総辞職を受け、元老たちが最初に後継首班推薦したのは貴族院議長徳川宗家16当主15代将徳川慶喜養嗣子)の徳川家達であった。だが、徳川氏一門中には明治維新の際に新政府強引に徳川氏朝敵とした事を未だに快く思わない者もおり、家達迫って辞退をさせてしまった。 そこで3月31日元老会議改め清浦後継首班推薦したのを受けて清浦大正天皇より組閣の大命受けた。そこで清浦平田宗像政東京府知事とともに組閣開始した陸軍の方は軍の長老である山縣の強い後押し岡市之助陸軍大臣内定したその他の大臣海軍大臣以外はほぼ内定したが、清浦意向によって貴族院官僚出身者占めいわゆる超然内閣色彩の強いものとなった。 これに対して4月2日立憲政友会立憲国民党超然内閣反対決議採択して清浦新内閣の野党になる事を宣言した。更に海軍も、清浦海軍大臣就任希望していた加藤友三郎海軍中将第一艦隊司令長官)が斎藤実前海大臣とともに予算案否決中止された新艦艇建造計画復帰とその予算復活求めたところ、4月6日清浦がこれを拒絶したことから、海軍大臣推薦事実上拒絶したそもそも、新艦艇計画中止きっかけとなった予算案否決平田主導して清浦乗ったものであり今更復活させるわけにはいかず、当時軍部大臣現役武官制山本内閣当時政党主導による改正緩和されいたもののそれに反対した清浦予備役起用を行うわけにもいかず、遂に4月7日組閣断念したのであるその結果今度大隈重信大命降下され4月16日大隈重信内閣成立した清浦組閣辞退直前記者団に対して大和田の前を通っているようなもので、匂いだけはするが、御膳立てはなかなか来ない」とぼやいた大和田とは当時人気鰻屋のことで、前を通っていると美味しい匂いはするが、中に入れ混雑していていつまで待ってうな丼にはありつけないという有様組閣現状重ね合わせたものであったが、世間はうなぎの匂い大命降下)だけで結局うな丼首相地位)にはありつけなかった清浦嘲笑してこれを「鰻香内閣」(匂いだけで現実には味わえない幻の内閣)と呼んだのである

※この「幻の「鰻香内閣」」の解説は、「鰻香内閣」の解説の一部です。
「幻の「鰻香内閣」」を含む「鰻香内閣」の記事については、「鰻香内閣」の概要を参照ください。

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