幻の「花園球場」整備計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 14:05 UTC 版)
「花園中央公園」の記事における「幻の「花園球場」整備計画」の解説
この花園中央公園の敷地内に、近鉄バファローズの本拠地として使われることを念頭に置いた野球場の建設計画が具体化されたことがあった。 近鉄球団は1958年以後、名目上は自社運営の藤井寺球場と日本生命保険所有の日本生命球場のダブルホームスタジアム(野球協約に定める専用球場も両方を登録していた)を取り入れていたが、藤井寺にはナイター設備がなく、実質日生球場をメインとしていた。しかし、日生球場はナイター照明の照度が非常に低いことや施設上の問題からパシフィックプロ野球連盟が問題視していた。そのため1973年に藤井寺球場を改修する際、ナイター設備を設置することを盛り込んだところ、周辺住民がナイター開催が騒音につながるとして建設の差し止めを大阪地方裁判所に行ったため、ナイター開催ができなくなった。この関係でナイターを中心に日生球場の「間借り」状態が続いていた。 このため、当時近鉄の監督だった西本幸雄は、当時球団オーナーだった佐伯勇に、「花園に近鉄で球場を造って、本拠地にしたらどうでしょうか」と進言したところ、「いくらかかると思っているんだ」と建設費用の問題で単独での実施は困難として断られたことを後年述懐している。 そのような状況を東大阪市が踏まえ、この大阪外大のグラウンド跡地に整備する公園の建設に際し、市の出資で野球場の建設を計画。それを近鉄球団の新しい本拠地にすることを提案した。具体的には以下のような理由が挙げられた。 公園面積が大きく住宅街からも離れている ラグビー場と共に野球場が建設することになれば東大阪市のスポーツの一大拠点となる 大阪市内からも電車で20分以内であることや、近鉄東大阪線の開通も近いとあって、交通アクセスの改善も見込める その事は1980年10月15日付け報知新聞(スポーツ報知)で大々的に取り上げられ、1982年完成、収容人員3万人以上、人工芝・ナイター照明塔などを設置する近代的な球場を作るという概況が発表された。だがその後、1983年に藤井寺球場のナイター照明塔の設置工事が再開されることになり(1984年竣工)、この花園球場の建設計画は結果的に幻となってしまった。 近鉄が消滅した9年後にあたる2013年から、合併先のオリックス・バファローズのファームチームが当球場で年1-2試合の主催試合を開催するようになった。オープン戦を含めた1軍の試合の開催実績はまだない。
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