日本の硬貨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 17:36 UTC 版)
概説
現在、日本で製造される硬貨は、通常発行される1円、5円、10円、50円、100円、500円の各1種類ずつ6種類の貨幣と、記念貨幣に分けられる。これらは通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律により「貨幣」と規定されるが、本位貨幣ではなく補助貨幣的な性質を持つものである。また同法律が施行されるまで、すなわち1988年(昭和63年)3月末以前発行のものは臨時通貨法に基いて発行された臨時補助貨幣であったが、同4月以降は通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律の附則第8条により「貨幣とみなす臨時補助貨幣」として位置付けられ、引き続き通用力を有している。紙幣とは違い、法貨としての強制通用力は同一額面20枚までと限られているため、一度の決済に同一額面の硬貨を21枚以上提示した場合、相手は受け取りを拒否できる[注 1][注 2]。
貨幣の製造及び発行の権能は、日本国政府に属する。財務大臣は、貨幣の製造に関する事務を、独立行政法人造幣局に行わせている。また、貨幣の発行は、財務大臣の定めるところにより、日本銀行に製造済の貨幣を交付することにより行う。日本銀行は貨幣を日銀券に交換し、一般会計内に設置された貨幣回収準備資金に納入、年度末には税外収入として政府の一般会計に繰り入れられる。ここで貨幣の額面と硬貨製造費用との差額は政府の貨幣発行益となる[1]。
貨幣種類 | 発行益 |
---|---|
1円 | -13円 |
5円 | 1円 |
10円 | -32円 |
50円 | 30円 |
100円 | 27円 |
500円 | 457円 |
日本の硬貨は、日本銀行の取引先金融機関が日本銀行に保有している当座預金を引き出すことによって世の中に送り出され、その金融機関から市中に流通するのは日本銀行券と同様であるが、日本銀行券の場合は当座預金の引き出しによって払い出された時点で発行となるところが日本の硬貨と異なる点である。
市中に流通している硬貨が故意以外の理由で損傷した場合には、日本銀行が鑑定を行い、真貨であると判定されれば交換に応じるが、故意の硬貨の損傷は貨幣損傷等取締法により処罰される。日本銀行に戻った硬貨のうち、現在発行されている貨種で、摩耗・変形・変色等の度合いが少なく再度の流通に適していると判断されたものは再び金融機関を通じて市中に流通する。一方、現在発行されていない貨種や、通貨として市中に流通していた記念硬貨、流通に適さないほど極端に摩耗・変形・変色した硬貨(損貨)は、再使用不可能な流通不便貨という扱いで回収され、一定量がたまると製造元の造幣局に戻され、そこで素材別に鋳潰して、再び貨幣の材料となる。
なお、硬貨の裏表を定める法的根拠はない[2][注 3]。1897年(明治30年)までは新貨幣が発行される度に表・裏を明示のうえ一般に公示しており、それ以降は菊紋がある方を表として扱っていた。ところが、戦後GHQにより菊紋の使用が禁じられると表裏の判別基準が失われた。そこで表裏の判別を大蔵省内で協議した際、(1897年以降(明治30年)に発行された貨幣は)それまでの硬貨は年号がすべて裏側(菊紋の反対側)に表示されていたことから、年号が表示されている方が「裏」、その逆側が「表」という扱いをすることになった。このような経緯により、造幣局では、建物や植物などの表示がある面を「表」、製造年表示のある面を「裏」と呼んでおり、この用法は一般にも浸透している。これによれば、現在有効な通常貨幣に限れば、結果的に「表」には全種類に「一円」「五円」「五百円」などの漢数字による額面が表記されていることになるが、記念貨幣も含めればそうとは限らない。この通説によれば政令「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律施行令」の別表に硬貨の形式が図案入りで表示されているが、その記載の順序に従って最初に示されるのが表、次に示されるのが裏としている[2]。
財務省や造幣局はそれぞれの硬貨を「十円貨幣」「五百円貨幣」等と称している。一般的な通称として「十円硬貨」「五百円硬貨」等、あるいは「十円玉」「五百円玉」等とも呼ばれる。
記念硬貨を除く現在有効な日本の硬貨の製造量については造幣局 (日本)#硬貨製造量を参照のこと。
歴史
金銀複本位制による本位金貨・本位銀貨と補助銅貨の発行
新貨条例が施行された明治以降の近代社会において、それまでの小判や分金、穴銭などといった手工芸的な硬貨に代えて、本格的な洋式硬貨を1871年(明治4年)(硬貨上の年号は明治3年銘もある)から発行した。
- 本位金貨として、1円、2円、5円、10円、20円(いずれも金90%の金合金)
- 本位銀貨(1878年(明治11年)以降)および貿易用銀貨として、1円、貿易銀(いずれも銀90%の銀合金)
- 補助銀貨として、5銭、10銭、20銭、50銭(いずれも銀80%の銀合金。5銭については後に白銅貨に移行)
- 補助銅貨として、1厘、半銭(5厘)、1銭、2銭(いずれも銅98%の銅合金)
が発行され、事実上の金銀複本位制(のちに事実上の銀本位制)として流通した。
このとき江戸時代に鋳造された銭貨は、天保通宝8厘、寛永通宝真鍮四文銭2厘、文久永宝1厘5毛、寛永通宝銅一文銭1厘、寛永通宝鉄四文銭1/8厘、寛永通宝鉄一文銭1/16厘として通用が認められたが、天保通宝・寛永通宝鉄銭については明治時代のうちに通用停止となった。
金本位制による本位金貨と補助貨幣の発行
以降、度々法改正があり、以下に挙げた通りその度に様々な材質・規格でこれらの額面の多様な硬貨が製造された。
1897年(明治30年)には貨幣法施行により、金本位制による貨幣制度が整えられた。これに伴い、金平価が半減されたため、新貨条例による金貨は額面表示の新貨条例で発行された旧金貨は全て額面の2倍の通用力を有することとなった。また、一円銀貨は1898年(明治31年)4月1日限りで失効となった。
貨幣法を根拠として、
- 本位金貨として、5円、10円、20円(いずれも金90%の金合金)
- 補助銀貨として、10銭、20銭、50銭(銀合金、当初銀80%、後の旭日10銭・八咫烏10銭(流通せず)・鳳凰50銭は銀72%)
- 銀貨以外の補助貨幣として、
が発行されていた。
第二次世界大戦中から終戦直後にかけての臨時補助貨幣の発行
第二次世界大戦開戦後には、これらの貨幣用材料は軍需用資材として転用させられたため、1938年(昭和13年)には臨時通貨法が施行され、アルミニウム青銅、黄銅、アルミニウムなどを材料とした硬貨に置き換えられた。そのとき50銭については硬貨にするのに適切な金属がなかったため小額政府紙幣として発行された。戦況の悪化に伴い寸法や量目(重量)についても度重なる縮小・削減が行われ、果ては貨幣用として適当な素材とは言い難い錫・亜鉛の合金を材料とした硬貨も発行された。1945年(昭和20年)3月には航空機の金属材料を捻出するために、10銭、5銭、1銭のアルミニウム硬貨も回収して紙幣と交換された[3]。終戦時に造幣局で製造されていたのは一銭硬貨のみで、実際の発行には至らなかったものの非金属製の陶貨の製造が行われる状況となっていた。
臨時通貨法を根拠に、第二次世界大戦中には臨時補助貨幣として
終戦直後には同じく臨時補助貨幣として
- アルミニウム貨:10銭
- 錫貨:5銭
- 黄銅貨:1円、50銭
がそれぞれ発行された。
銭・厘単位の通貨廃止とそれ以降
戦後、小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律により、銭・厘単位の法定通貨が1953年(昭和28年)末に廃止され、このとき1円以下の補助貨幣が失効した。その中には円単位でありながら鋳潰しの恐れがあるとされた一円黄銅貨や、江戸時代に鋳造された寛永通宝銅一文銭・寛永通宝真鍮四文銭・文久永宝も含まれていた。また、1931年(昭和6年)12月17日の金貨兌換停止に関する緊急勅令により金兌換が停止されたことに伴い、以降は金本位制が有名無実化していたが、本位金貨も通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律により1988年(昭和63年)3月31日限りで名実ともに失効し、現在は名実ともに管理通貨制度に移行した。
記念貨幣を除く現在有効な硬貨に関する年表を以下に示す。太字は製造発行中の貨種である。
- 1948年(昭和23年)10月25日:五円黄銅貨(無孔)発行、流通開始。素材は黄銅。図柄は国会議事堂。穴なし。
- 1949年(昭和24年)9月15日:五円黄銅貨(有孔楷書体)発行、流通開始。中心に穴の空いた形状へ変更。図柄も稲穂と水・歯車に変更。文字は楷書体の旧字体表記。俗に「筆五(フデ五)」と呼ばれるもので、現行のものとは異なる。
- 1953年(昭和28年)1月5日:十円青銅貨(ギザ有)発行、流通開始。素材は青銅。図柄は平等院鳳凰堂。周囲に溝(ギザ)あり。俗に「ギザ十」と呼ばれるもので、現行のものとは異なる。なお製造開始は1951年(昭和26年)であり昭和26年ならびに昭和27年の表記のものがある。
- 1955年(昭和30年)6月1日:一円アルミニウム貨流通開始。素材はアルミニウム。図柄は若木。
- 1955年(昭和30年)9月1日:五十円ニッケル貨(無孔)発行、流通開始。素材はニッケル。図柄は横から見た菊の花1輪。穴なし。
- 1957年(昭和32年)12月11日:百円銀貨(鳳凰)発行、流通開始。素材は銀合金。図柄は鳳凰。
- 1959年(昭和34年)2月16日:十円青銅貨(ギザ無)発行、流通開始。周囲の溝(ギザ)がなくなり平滑に変更。図柄は従前から変更なし。
- 1959年(昭和34年)2月16日:百円銀貨(稲穂)発行、流通開始。図柄が鳳凰から稲穂に変更。
- 1959年(昭和34年)2月16日:五十円ニッケル貨(有孔)発行、流通開始。中心に穴の空いた形状へ変更。図柄も真上から見た菊の花1輪に変更。
- 1959年(昭和34年)9月1日:五円黄銅貨(有孔ゴシック体)発行、流通開始。字体が楷書体からゴシック体、旧字体から新字体へ変更。図柄は従前からほぼ変更なし。
- 1967年(昭和42年)2月1日:百円白銅貨発行、流通開始。素材が銀合金から白銅へ変更。図柄も桜の花3輪に変更。
- 1967年(昭和42年)2月1日:五十円白銅貨発行、流通開始。素材がニッケルから白銅へ変更。図柄も菊の花3輪に変更。直径縮小。
- 1982年(昭和57年)4月1日:五百円白銅貨発行、流通開始。素材は白銅。図柄は桐。側面はレタリング。
- 1988年(昭和63年)4月1日:通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律の施行により、従前は臨時補助貨幣として発行されていたこの時点で有効な硬貨は「貨幣とみなす臨時補助貨幣」として引き続き通用力を有することとなった。本法律を根拠に発行される硬貨は「貨幣」と称する。
- 2000年(平成12年)8月1日:五百円ニッケル黄銅貨発行、流通開始。素材がニッケル黄銅へ変更。偽造防止対策として潜像、周囲の斜めギザ等を採用。従前の図柄を踏襲するも、細部のデザインを変更。
- 2021年(令和 3年)11月1日:五百円バイカラー・クラッド貨発行、流通開始[4][5]。偽造防止対策として2色3層構造のバイカラー・クラッド貨幣となり、周囲は異形斜めギザに変更。従前の図柄を踏襲するも、細部のデザインを変更。
注釈
- ^ 通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第七条に規定されている。現行の硬貨については、取引における支払い代金の受け取りや、釣銭の受け取りに際して1種につき21枚以上の受け取りを拒否することができ、その場合には他方は受け取ることを強いることはできない。尚、双方の合意の上で使用するには差し支えない。また、税務署窓口で納税に硬貨を使用するに際しては枚数の制限はない。
- ^ 既に廃貨になっている硬貨(補助貨幣)にもそれぞれ通用制限があった。貨幣法では、銀貨(補助貨幣の50銭、20銭、10銭)は10円まで、白銅貨(5銭)と青銅貨(1銭、5厘)は1円までを限りとした。その後に発行された補助貨幣や、硬貨の代用として発行された小額政府紙幣、日本銀行券のうち十銭紙幣と五銭紙幣もこの制限を引き継いだ。
- ^ 新貨条例 では、新貨幣品位量目表に貨幣の表裏が明記されていた。貨幣法 では貨種・材質・量目が記され、模様など形式は勅令 貨幣法ニ拠ル貨幣 ノ形式で公示された。ここには表裏は記されていないが、便宜上表とされる方が最初(上)に記されている。臨時通貨法や通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律では貨種を定めているだけで、材質・量目・模様など形式は政令で定められ、やはり表裏は記されていないが、便宜上表とされる方が最初(上)に記されている。
- ^ a b 貨幣の量目は、通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律施行令(昭和63年政令第50号)に定められる。なお、厚さは法令では定められていない。
- ^ mm
- ^ 尺貫法でいう1匁
- ^ 5円硬貨や50円硬貨などで、希に穴がズレたまま発行されることもある。確かに希少ではあるものの、ここでは扱わない。
- ^ a b 製造は1951年(昭和26年)開始
- ^ いわゆるフデ五
- ^ 5銭白銅貨幣(大型) 1917年(大正6年)発行、10銭白銅貨幣・5銭白銅貨幣(小型) 1920年(大正9年)発行、10銭ニッケル貨幣・5銭ニッケル貨幣 1933年(昭和8年)発行、10銭アルミニウム青銅貨幣・5銭アルミニウム青銅貨幣 1938年(昭和13年)発行、10銭錫貨幣・5銭錫貨幣 1944年(昭和19年)発行の9種類。
- ^ 過去にはフィリピン、ハンガリー、ユーロ導入以前のスペイン、フランスなどでも穴あき硬貨が発行されていた。
- ^ ただし偽造が問題になった一部の記念貨幣については真贋鑑定に回され、入金等が遅れる場合もあるが、それは合法的対応である。
- ^ ゆうちょ銀行を含む
- ^ なおこの場合、法的には法貨としての強制通用力(同一額面20枚まで)が問題になるとも考えられるが、一般的な対応としては、通常の銀行(ゆうちょ銀行含む)であれば全て20枚制限とは関係なく、常識的な範疇であれば大量の硬貨でも受け入れている。ただし銀行によって対応が異なり、非常識な量であれば強制通用力を盾にとって両替業務として対応(手数料徴収)する可能性もある(ゆうちょ銀行は両替業務を行わない建前上、受入れを拒否もできる)。なお、これらの「受入れ」にはATMによる受入れは含まない(ATMへの硬貨大量入金は多くの場合制限されているし、対応義務もない)。
- ^ なお20枚以下の、日本国内での通用力が停止されていない全ての硬貨、記念硬貨または貨幣については強制通用力を持つため、通常の銀行(ゆうちょ銀行を含む)は原則として受け入れを拒否できない(対応義務)。なお、昭和28年小額通貨整理法により、円未満の銭貨、厘貨は通用停止となっており円未満の問題は生じない。
- ^ 届け出当日中に全部を交換できない場合もある
- ^ a b 普通銀行など。ゆうちょ銀行を除く。
- ^ 本支店窓口では、なるべく届出者により汚損硬貨の洗浄、乾燥などを求めている。
- ^ 金地金として自ら処分等
- ^ 自ら処分等
出典
- ^ 『景気対策を目的とした政府貨幣増発の帰結 - UFJ総合研究所』(UFJ総合研究所、2003年、ウェブアーカイブ)
- ^ a b 毎日新聞社編『話のネタ』PHP文庫 p.70 1998年
- ^ アルミ貨は全部回収(昭和20年3月13日 朝日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p148 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ a b “新しい五百円貨幣の発行開始日について”. 財務省. 2021年10月1日閲覧。
- ^ a b “新しい五百円貨幣の発行時期について”. 財務省. 2021年4月27日閲覧。
- ^ a b 日本銀行金融研究所『日本貨幣年表』日本銀行金融研究所、1994年、99頁。ISBN 9784930909381。
- ^ a b c d 日本銀行金融研究所『日本貨幣年表』日本銀行金融研究所、1994年、101頁。ISBN 9784930909381。
- ^ a b 日本銀行金融研究所『日本貨幣年表』日本銀行金融研究所、1994年、103頁。ISBN 9784930909381。
- ^ 日本銀行金融研究所『日本貨幣年表』日本銀行金融研究所、1994年、106頁。ISBN 9784930909381。
- ^ 日本銀行金融研究所『日本貨幣年表』日本銀行金融研究所、1994年、100頁。ISBN 9784930909381。
- ^ 日本銀行金融研究所『日本貨幣年表』日本銀行金融研究所、1994年、97頁。ISBN 9784930909381。
- ^ a b 日本銀行金融研究所『日本貨幣年表』日本銀行金融研究所、1994年、96頁。ISBN 9784930909381。
- ^ 「令和元年」の100円と500円製造開始 記念金貨も 朝日新聞デジタル 2019年7月11日 20時39分
- ^ 造幣局 年銘別貨幣製造枚数
- ^ 渡部 晶「わが国の通貨制度(幣制)の運用状況について」(pdf)『ファイナンス』第561号、財務省、2012年8月、18-31頁、2021年5月20日閲覧。
- ^ 偽造100円白銅貨幣について
- ^ 1円玉と5円玉「役割終えている」 国会で論戦 立民の泉政調会長「さい銭多い神社が苦労」 京都新聞 2021年2月26日 09時24分 (2021年2月27日閲覧)
- ^ “日本銀行が行う損傷現金の引換えについて : 日本銀行 Bank of Japan”. www.boj.or.jp. 2019年1月12日閲覧。
- ^ https://www.boj.or.jp/about/services/bn/sonsyo.htm
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