国際化学オリンピック
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大会組織とルール
運営は、その年の主催国が議長を務める国際審議会や、運営委員会によって行われる。また、IChO国際情報センターは第一回大会が行われた、スロバキアのブラティスラバにおかれている。
大会に初参加する場合には、本参加の前の2年間に、連続したオブザーバー参加が義務づけられている。
代表は1か国あたり、最大4人の選手と2人のオブザーバーが参加できる。各国ではそれぞれ選抜試験が行われ、選抜試験で優秀な成績を取ったものには優遇が与えられる場合もある。しかし、経済的な問題もあり1人のみを派遣することしかできない国もあるため、2008年大会から、そのような国に対し、毎年1万ドルずつ援助することになった。
開催には多額の費用がかかり、招致運動が活発ではなかったため、1999年大会から参加費を徴収するシステムに変わった[4]。また、参加費は年を追って100ドルずつ上昇し、その国で開催されると参加費は0ドルにリセットされるシステムとなっている(例として2011年のトルコ大会の各国の参加費リストでは、2010年に開催した日本はリセットされ100ドルに、2011年開催のトルコは0ドルになっている)。
試験
理論の部と実験の部がある。理論の部は5時間で5〜8問の大問を解く試験であり、実験の部は5時間で2〜3問の問題を解く試験である。
問題は事前に公開される運営委員会の定めたシラバス(理論・実験)の範囲から出題される。このシラバスは開催国の運営委員会が「国際レベルの高校化学教育」の内容とみなしたものである。試験問題は、試験前日に各国のメンターに配布され、翻訳作業が行われる。そのため、メンターと生徒は隔離され、連絡の取れないよう、生徒は携帯電話やパーソナルコンピュータを持ち込んではならないことになっている。例として、2008年のハンガリー大会では、39の言語に翻訳されたが、ある国が生徒向けの印刷物に不正な書き込みをして、出場禁止1年間のペナルティとなった[5]。
シラバスはレベル1、2、3に分かれており、レベル3の内容を出題する場合は、開催年の1月末に開催国により公開される準備問題(筆記問題25題以上、実験問題5題以上)に含まれている必要がある。
高校レベルの知識では全く太刀打ちできないが、過度な試験対策を防ぐため各国で選出された50人以下に対しては2週間以上の公式トレーニングを行ってはいけないとされている。
また、試験問題の中には、その国に関連した、いわゆる「ご当地問題」が出ることが多い。例として、2010年の日本大会では、リチウムイオン電池や、フグのテトロドトキシンについての問題が出題され、2005年の台湾大会ではアジア最大の金鉱山があることから、金の抽出に関する問題が、また2004年のドイツ大会では開催地のキールでオットー・ディールス教授と弟子のクルト・アルダーが発見したディールス・アルダー反応に関する問題が出題された[6]。
理論試験60 %、実験試験40 %の割合で計算した点数で順位がつき、上位から約1割に金メダル、次の約2割に銀メダル、その次の約3割に銅メダルが授与される。また、メダルのない者のうち、試験の大問を1つでも満点を取った者には敢闘賞が授与される。
開催歴
過去の開催
2010年現在、ヨーロッパで33回、アジアで6回、北米で2回、オセアニアで1回開催され、ヨーロッパ開催のうち21回が旧東欧諸国である[7]。
開催次 | 年 | 開催国 | 都市 | 参加国 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1968年 | チェコスロバキア | プラハ | 3か国 | |
2 | 1969年 | ポーランド | カトヴィツェ | 4か国 | |
3 | 1970年 | ハンガリー | ブダペスト | 7か国 | |
- | 1971年 | - | - | - | 開催国が決まらず、開催されなかった。 |
4 | 1972年 | ソビエト連邦 | モスクワ | 7か国 | |
5 | 1973年 | ブルガリア | ソフィア | 7か国 | |
6 | 1974年 | ルーマニア | ブカレスト | 9か国 | 初めての西側諸国の参加 |
7 | 1975年 | ハンガリー | ヴェスプレーム | 12か国 | |
8 | 1976年 | ドイツ民主共和国 | ハレ | 12か国 | |
9 | 1977年 | チェコスロバキア | ブラティスラバ | 12か国 | |
10 | 1978年 | ポーランド | トルン | 12か国 | |
11 | 1979年 | ソビエト連邦 | レニングラード | 11か国 | |
12 | 1980年 | オーストリア | リンツ | 13か国 | 初めての西側諸国での開催 |
13 | 1981年 | ブルガリア | ブルガス | 14か国 | |
14 | 1982年 | スウェーデン | ストックホルム | 17か国 | |
15 | 1983年 | ルーマニア | ティミショアラ | 18か国 | |
16 | 1984年 | 西ドイツ | フランクフルト | 21か国 | |
17 | 1985年 | チェコスロバキア | ブラティスラバ | 22か国 | |
18 | 1986年 | オランダ | ライデン | 23か国 | |
19 | 1987年 | ハンガリー | ヴェスプレーム | 26か国 | |
20 | 1988年 | フィンランド | エスポー | 29か国 | |
21 | 1989年 | ドイツ民主共和国 | ハレ | 26か国 | |
22 | 1990年 | フランス | パリ | 28か国 | |
23 | 1991年 | ポーランド | ルージ | 30か国 | |
24 | 1992年 | アメリカ合衆国 | ピッツバーグ ワシントンD.C. |
33か国 | |
25 | 1993年 | イタリア | ペルージャ | 38か国 | |
26 | 1994年 | ノルウェー | オスロ | 39か国 | |
27 | 1995年 | 中国 | 北京 | 42か国 | |
28 | 1996年 | ロシア連邦 | モスクワ | 45か国 | |
29 | 1997年 | カナダ | モントリオール | 47か国 | |
30 | 1998年 | オーストラリア | メルボルン | 47か国 | 日本第一次オブザーバー派遣 |
31 | 1999年 | タイ | バンコク | 52か国 | 日本第二次オブザーバー派遣 第一回全国高校化学グランプリ開催 |
32 | 2000年 | デンマーク | コペンハーゲン | 53か国 | |
33 | 2001年 | インド | ムンバイ | 54か国 | |
34 | 2002年 | オランダ | フローニンゲン | 57か国 | 日本第三次オブザーバー派遣 |
35 | 2003年 | ギリシア | アテネ | 59か国 | 日本初参加 |
36 | 2004年 | ドイツ | キール | 61か国 | |
37 | 2005年 | 台湾 | 台北 | 59か国 | |
38 | 2006年 | 韓国 | 慶山 | 67か国 | |
39 | 2007年 | ロシア連邦 | モスクワ | 66か国 | |
40 | 2008年 | ハンガリー | ブダペスト | 66か国 | |
41 | 2009年 | イギリス | ケンブリッジ | 64か国 | |
42 | 2010年 | 日本 | 東京 | 68か国 | |
43 | 2011年 | トルコ | アンカラ | 70か国 | |
44 | 2012年 | アメリカ | ワシントンD.C. | 72か国 | |
45 | 2013年 | ロシア連邦 | モスクワ | 73か国 | |
46 | 2014年 | ベトナム | ハノイ | 75か国 | |
47 | 2015年 | アゼルバイジャン | バクー | 75か国 | |
48 | 2016年 | ジョージア | トビリシ | 67か国 | |
49 | 2017年 | タイ | ナコーンパトム | 76か国 | |
50 | 2018年 | チェコ・スロバキア | ブラティスラヴァ・プラハ | 76か国 | |
51 | 2019年 | フランス | パリ | 80か国 | |
52 | 2020年 | トルコ | イスタンブール | 60か国 | オンライン開催 |
53 | 2021年 | 日本 | 大阪府 | 79か国 | オンライン開催 |
54 | 2022年 | 中華人民共和国 | 天津市 | 84か国 | オンライン開催 |
55 | 2023年 | スイス | チューリッヒ | 90か国 | |
56 | 2024年 | サウジアラビア | リヤド | ||
57 | 2025年 | アラブ首長国連邦 | |||
58 | 2026年 | ウズベキスタン |
2010年の日本大会
国際化学オリンピックは、2010年に初めて、日本で開催された。前年の国際生物学オリンピック大会に続き、2年連続で国際科学オリンピックが同国で開催されるのは初めてのことである。開催期間は2010年7月19日~28日で、過去最高の68の国と地域が参加し、選手は267名、メンター等を併せると約500人が参加した。
準備問題では、火山ガス組成の定量分析やウルシオールの構造研究など、いわゆる「ご当地問題」が出題された。本試験の理論問題では、日本で発達したリチウムイオン電池や、フグのテトロドトキシンについての「ご当地問題」が出題された。
大会テーマは Chemistry:the key to our future で、ロゴマークは、化学のイメージを丸底フラスコで表し、桜の花で日本を象徴した上で、五輪と同じ配色でオリンピックを表し、一筆書きで繋がる造形で平和の大会を表したものとなっている[8]。大会の周知のため、前年から「化学実験カー」や「公式グッズ販売」など多くのプレイベントが行われた。
大会会場は早稲田大学と東京大学で、実験試験と閉会式は早稲田大学西早稲田キャンパスで、筆記試験は東京大学駒場キャンパスで行われた。選手は代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターに宿泊し、引率者は選手村と隔離された幕張の海外職業訓練の研修施設に宿泊した[9]。
エクスカーションでは、東京タワー、浅草、鎌倉、日光への訪問や、茶道、折り紙、書道、着付けなどの日本文化の体験などが行われた。以下がスケジュール表である[10]。
日本代表の結果は、金メダル4個というもので、日本としては過去最高の記録をだした。
- ^ “エクスカーションとは? - 国土交通省中部地方整備局”. 2020年1月8日閲覧。
- ^ 渡辺正監修 『化学オリンピック完全ガイド』 化学オリンピック日本委員会編、化学同人、2008年、15頁
- ^ 上野幸彦・菅原義之・本間敬之・森敦紀、米澤宣行著『完全攻略 化学オリンピック』化学オリンピック日本委員会+渡辺正編、日本評論社、2009年、202頁
- ^ 渡辺正監修 『化学オリンピック完全ガイド』 化学オリンピック日本委員会編、化学同人、2008年、18-19頁
- ^ 上野幸彦・菅原義之・本間敬之・森敦紀、米澤宣行著『完全攻略 化学オリンピック』化学オリンピック日本委員会+渡辺正編、日本評論社、2009年、4頁
- ^ 渡辺正監修 『化学オリンピック完全ガイド』 化学オリンピック日本委員会編、化学同人、2008年、36頁
- ^ 上野幸彦・菅原義之・本間敬之・森敦紀、米澤宣行著『完全攻略 化学オリンピック』化学オリンピック日本委員会+渡辺正編、日本評論社、2009年、198頁
- ^ IChO日本大会 ロゴマーク
- ^ 伊藤雄二・沼田治・渡辺正 「座談会 現場が語る 科学のオリンピック」『化学』65号、化学同人、2010年、13頁
- ^ IChO日本大会 スケジュール
- ^ 渡辺正監修 『化学オリンピック完全ガイド』 化学オリンピック日本委員会編、化学同人、2008年、13-14頁
- ^ 『化学』編集部「特集 まもなく開催!!国際化学オリンピック 歴代の日本代表メンバー」『化学』65号、化学同人、2010年、19頁
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