京釜線 路線データ

京釜線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 16:02 UTC 版)

路線データ

高速鉄道区間についてはKTX京釜高速線も参照のこと。

概要

京釜線は、大田大邱を経由しながらソウルと釜山という2大都市を結ぶ韓国の最重要幹線であり、ほとんどの駅が有人駅である。また、同線はソウル・釜山から湖南線全羅線長項線慶全線といった主要幹線への直通輸送ルートも形成しており、輸送量は旅客・貨物とも常に一位である。そのため、日本における東海道本線に相当する役割を果たしている。

最重要幹線であることから路線の整備が優先的に行われており、複線化は日本統治下京義線1943年)に次いで1945年に、電化首都圏電鉄山岳路線の太白線咸白線を除くと京釜高速線湖南線2004年)に次いで2006年に全線で工事が完了している。また、過密輸送を改善する目的でソウルから天安までの首都圏電鉄区間は複々線化され、線形が良いことから一般列車も最高速度150km/hで走行する。

運行列車は高速列車KTX・特急格電車ITX-セマウルや機関車けん引の客車列車ムグンファ号などの長距離列車通勤型車両広域電鉄及び貨物列車と多岐に及んでいる。だが、近年では費用対効果が悪化しており、2017年KORAILが出した5,283億ウォン赤字のうち、約65.7%に当たる3,466億ウォンが同線から発生していた。

歴史

略年表

  • 1896年1月 朝鮮政府 経費不足300万円と鉄道建設費200万円の借入申入[1]
朝鮮政府 アメリカ人に京仁鉄道敷設権、雲山金鉱を売却[2]
朝鮮政府 仏国に京義(ソウル・義州)鉄道敷設権を与える。
同年3月30日 日本銀行・朝鮮政府間に300万円の借款(年利6分。租税抵当3年据置後2年で償還。銀貨と紙幣半額ずつ)。  
同年4月17日 下関条約(日清講和条約・馬関条約)。
同年7月6日 京釜鉄道株式会社発起人総会。
同年9月8日 創立発起人 韓国と京釜鉄道敷設に関する京釜鉄道合同条約調印(京釜鉄道敷設権)[3](駐韓国公使加藤増雄)
同年2月21日 衆議院 京釜鉄道成立促進の「帝国臣民ノ外国ニ於ケル鉄道敷設ニ関スル法律案」を可決。
同年7月30日 大韓帝国と京釜鉄道釜山停車場設置のための釜山北浜海面埋築会社の埋築地の譲渡契約を締結
同年10月13日 発起人総会で仮定款、引受株数を議決。
同年5月13日 京釜鉄道会社同免許交付。
同年6月25日 京釜鉄道会社創立総会。
同年8月20日 技師長笠井愛次郎により軌間4呎8吋5分 (1435mm) [4]軌条七十五磅 (34Kg) とした。永登浦で北部起工式、同月21日に釜山草梁で南部起工式。工事着工へ。
同年11月1日 京仁鉄道合資会社合併認可。
同年12月28日 日本政府より175万円の補助金、1000万円の社債保障。会社組織の変更で渋沢栄一取締役会長辞任
同年7月1日 統監府鉄道管理局へ引継ぎ。
同年11月29日 鉄道買収価格 20,016,500円と決定通知を京釜鉄道会社に送付。
同年7月30日 株主総会で清算勘定残余財産分配等を決定。[5]

脚注

  1. ^ アジア歴史資料センター Ref.B04010720600 
  2. ^ 1896. 4. 17. 許雲山金鉱採掘権于米国人
  3. ^ 朝鮮鉄道史 1(朝鮮総督府鉄道局)
  4. ^ 大正・昭和戦前期における鉄道敷設申請却下について
  5. ^ 清算事務完了は明治45年4月20日前後

概要

京城-釜山間起工式場

19世紀後半、朝鮮政府は財政上逼迫した状態で、多くの採掘権等の利権を外国人に売却していた。その中で、漢城(現:ソウル)と仁川を結ぶ京仁鉄道は、アメリカ合衆国のモーリスが敷設権を獲得して建設を開始したが、労働争議、支払い争議問題で頓挫し、建設の半ばで180万円で日本の渋沢栄一らの京仁鉄道合資会社に売却し、渋沢栄一らが完成にこぎつけた。これが朝鮮半島最初の鉄道となった京仁線である。モーリスは漢城と釜山を結ぶ鉄道敷設権も同時に獲得していたが、資金難のために敷設権を日本が譲り受けて京釜鉄道を設立し、1901年に着工した。建設中の1904年日露戦争が勃発すると、軍事物資の決戦輸送のために突貫工事で建設され、一部河川などはフェリーで輸送する暫定的なものながら1905年に全線開通し、日本の対戦勝に貢献した。

鉄道の重要性より、多くの鉄道の鉄道国有化に合わせて韓国統監府鉄道管理局の所管となり、統監府鉄道庁、日本政府韓国鉄道局、日韓併合を経て朝鮮総督府鉄道局の運営となった。京釜線は京城新義州を結ぶ京義線と共に日本の大陸政策の基幹となる最重要路線で、1910年代には全面改良され、いち早く複線化も完成した。蒸気機関車客車は概ねアメリカ製で鈍重ではあったが、蒸気機関車は高速高性能で、日本にはない迫力を感じさせた。また、南満洲鉄道(満鉄)の路線と接続して国際列車が運転され、一時的だが朝鮮全域の鉄道運営が南満洲鉄道に委託されたこともある。

昭和になると、日本製の高性能機関車と軽量客車の登場で所要時間が短縮、関釜連絡船と接続して特急「あかつき」急行「ひかり」急行「興亜」など多くの優等列車が運行されたが、太平洋戦争大東亜戦争)の戦局悪化と共に「ひかり」・「興亜」を除く優等列車はほぼ廃止され、普通列車も所要時間の延長と区間の短縮が繰り返された。

1945年に日本の朝鮮統治が終わり、1948年大韓民国が成立するが、京釜線の基幹路線としての地位は変わることがなかった。朝鮮戦争では鉄道施設への被害もあったものの、多くの軍事物資と兵員の輸送に貢献した。戦後も多くの貨物・旅客を輸送して経済成長に貢献し、優等列車も多数設定された。また、アメリカの援助で導入された大馬力ディーゼル機関車が蒸気機関車廃止による無煙化と近代化、旅客・貨物の大量高速輸送を支えた。

1974年8月15日にはソウル駅から水原駅までが電化、ソウル駅から永登浦駅までが複々線化される。日本から導入された電車が複々線の電車線を走行し、同時に開業したソウル地下鉄1号線を経由、京元線城北駅(現・光云大駅)まで運転を開始した。永登浦駅から水原駅までは1981年12月23日列車線電車線が分離・複々線化され、電車の大増発が実現した。この後、ソウル首都圏にくまなく都市鉄道網が整備され、現在の広域電鉄に至る。また、1984年から列車線を利用した『高速電鉄』(後に『直通』、現『急行』)の運転を平日朝夕に開始したが、長距離列車が数多い中で1日3, 4本程度という状態が20年間続いた。

一方、長距離路線では首都圏の電化開業と同時に、京釜線を中心にした鉄道網の高速輸送を目的とした超特急「セマウル号」が登場した。セマウル号には1986年から国産の新型機関車と専用客車、専用気動車が続々と登場し、ソウル駅と釜山駅を最速4時間10分で結んだ。

しかし、京釜線の輸送力も限界に近づいていた。ソウルと釜山という2大都市のほかにも大田や大邱を抱え、湖南線全羅線長項線慶全線といった主要幹線への輸送が加わり、1990年代には輸送力がピークに達した。このため、抜本的な解決策として増線が計画された。

2004年4月1日フランスTGVの技術を採用したKTX京釜高速線の1期区間が開業し、ソウル駅 - 釜山駅の所要時間は3時間を切った。これによって在来線である京釜線を走行する旅客列車が削減され、またKTXは専用線を走行する区間が多い為、貨物列車や他路線への直通列車を増発する余裕が生まれた。

首都圏電鉄(現:広域電鉄)では都心の鷺梁津駅 - 九老駅が三複線化し、鷺梁津駅止まりの電車が設定された。この三複線は後に龍山駅へ暫定的ながら延伸し、1999年1月29日に京仁線の複々線化が完成して、富平駅から龍山駅まで急行運転を開始した(ただし、京釜線内は各駅停車)。

南部方面では、2003年4月30日に水原駅から餅店駅までが電化・複々線化して電車がソウル中心部から直通運転、広大な車両基地を備えて天安駅延伸に備えた。そして、2005年1月20日に餅店駅から天安駅までが電化・複々線化され、ソウルからの直通運転列車が忠清南道まで運行されることになった。さらにKTX開業によって余裕の生まれた列車線を使用した急行運転も開始した。

KTXの乗り入れと広域電鉄の延伸開業によって電化区間が拡大したが、その後も引き続いて残り区間の電化が進められ、2006年12月8日に最後まで非電化で残っていた沃川駅 - 新洞駅間の電化が完了し、京釜線の全線電化は達成された。そして新型電気機関車による本格的な運転が2007年3月1日から始まり、今後の高速運転による輸送力増加が期待されている。

2010年には京釜高速線の2期区間が開業し、従来まで東大邱駅 - 釜山駅間で京釜線を走行していたKTXの多くが京釜高速線経由となった。しかし、大田駅・東大邱駅・釜山駅のそれぞれ前後区間では在来線と高速線が線路を共用しており、運行上のネックともなっていたため線増工事が行われ、2015年に3期区間として完成。これにより、ソウル市内区間を除いて在来線と高速線は完全に別線化された。

なお北朝鮮では、この路線と京義線の一部をあわせた平壌から釜山までを平釜線としている。線路自体は接続されているものの、現実には自国実効支配下の開城までしか旅客営業されていない。




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