ホメーロス
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ホメーロス問題
古代・中世のギリシア人たちは、一部例外を除いて、『イーリアス』と『オデュッセイア』がホメーロスの作である事を疑わなかったが、近代になり、異論が唱えられるようになった。例えば、ホメーロスがもし『イリアス』の作者なら『オデュッセイア』はそれより少し後代の別人、あるいは複数の詩人になるものではないかという推測である。ホメーロスについての情報がわずかであるため、その存在自体を疑う者もある。今日では、両詩の原型はホメーロス(と仮に呼ぶ)1人によって、それ以前の口承文学を引用しつつ創造されたという説が有力であるが、問題は未解決である。ホメーロスとは誰なのか、1人なのか複数なのか、両叙事詩の作者なのか、文字の助けを借りて創造したのか、何時なのか、何処でなのか、こういった諸問題を称して「ホメーロス問題」と呼ぶ。
この疑問は古代にまで遡る――セネカによれば、「オデュッセイアの漕手が何人だったか、『イーリアス』は『オデュッセイア』より前に書かれたのか、これら2つの詩は同じ作者なのかといったことを知りたがるのはギリシア人の病気であった。」[26]
今日「ホメーロス問題」と呼ばれているものは、オービニャック師[訳語疑問点]の許で生まれたもののようである[27]。彼は同時代人たちのホメーロスへの畏敬に逆行し、1670年頃に『学術的推測』を書き、そこでホメーロスの作品を批判するだけでなく、詩人の存在そのものにも疑問を投げかけた。オービニャックにとって、『イーリアス』と『オデュッセイア』は昔のラプソドスたちのテクストの集積にしか過ぎなかった[27]。これとほぼ同時代に、リチャード・ベントレーは著書『思考の自由論に関する考察』の一節で、ホメーロスは存在はしたかもしれないが、ずっと後になって叙事詩の形にまとめられた歌やラプソディアの作者であったに過ぎないと判断した。ジャンバッティスタ・ヴィーコもまたホメーロスは決して実在せず、『イーリアス』と『オデュッセイア』は文字通りギリシアの人々全体による作品であると考えた[28]。
フリードリヒ・アウグスト・ヴォルフは著書『ホメーロスへの序論』(1795)において、ホメーロスが文盲であったという仮説を初めて導入した。ヴォルフによれば、詩人はこの2つの作品を紀元前950年頃の、ギリシア人がまだ筆記を知らなかった時代に作ったのである。原始的な形の歌であったものは口承によって伝達され、その過程で進化・発展を遂げ、それは紀元前6世紀のペイシストラトスの校訂によって固定されるまで続いた[29]。ここから2つの派閥が生まれた――「統一主義者」と「分析主義者」[訳語疑問点]である。
カール・ラッハマンのような「分析主義者」は、ホメーロス自身によるもとの詩を後世の追加や挿入などから分離しようと試み、テクストの不整合や構成の誤りを強調した。例えば、トロイアの英雄ピュライメネースは第5歌で殺されるが[30]、それより後の第8歌で再び登場する[31]。さらにはアキレウスは第11歌で、帰らせたばかりの使者が来るのを待っている[要出典]。これはホメーロス言語にも当てはまり、これに関してだけ言うなら、ホメーロス言語は様々な方言(主にイオニア方言とアイオリス方言)や様々な時代の言い回しの寄せ集めからなっている。こうしたアプローチは、ホメーロスのテクストを確立したアレクサンドリア人たちに既にあったものである(後述)。
「統一主義者」はこれとは逆に、非常に長い(『イーリアス』が15,337行、『オデュッセイア』が12,109行)詩であるにもかかわらず見られる構成と文体の統一性を強調し、作者ホメーロスがその時代に存在していたさまざまな素材から我々が今日知っている詩を構成したのだという説を擁護した[要出典]。2つの詩の間の差異は、作者の若い時と歳を取った時とでの変化や、ホメーロス自身とその後継者との間の違いによって説明される。
今日では、批評家の大部分は、ホメーロスの詩が口頭での創作と継承の文化から筆記の文化へと移行する過渡期において、それより前の要素を再利用して構成されたと考えている。ある1人(もしくは2人)の作者が介在したことはほとんど疑いがないが、先行する詩が存在し、それらの中にはホメーロスの作品に含められたものがあることもほとんど疑いがない。木馬のエピソードを語った者たちのように、含められなかったものもあった可能性がある[32]。『イーリアス』が先に、紀元前8世紀前半頃に創作され、『オデュッセイア』が後に、紀元前7世紀末頃に創作された可能性もある。
注釈
出典
- ^ Chantraine, Pierre (1999) (フランス語). Dictionnaire étymologique de la langue grecque, vol.II. II. Paris: Klincksieck. pp. 797. ISBN 2-252-03277-4
- ^ フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編、樺山紘一監修『図説 世界史人物百科』Ⅰ古代ー中世 原書房 2004年 29ページ
- ^ 『オデュッセイア』VIII, 63-64.
- ^ 『戦史』 III, 104.
- ^ Dion Chrysostome, Discours, XXXVI, 10-11.
- ^ FHG II, 221.
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- ^ M. P. Nilsson, Homer and Mycenæ, Londres, 1933 p.201.
- ^ Aristote, Éthique à Eudème, 1248b.
- ^ R. G. A. Buxton, « Blindness and Limits: Sophokles and the Logic of Myth », JHS 100 (1980), p.29 [22-37.
- ^ Simonide, frag. 19 W² = Stobée, Florilège, s.v. Σιμωνίδου.
- ^ イーリアス(VI, 146).
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- ^ Éphore, FGrHist 70 F 1.
- ^ West, p. 367
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- ^ 『歴史』(V, 67)
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- ^ Simonide, frag. 564 PMG.
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- ^ Sénèque, De la brièveté de la vie (XIII, 2).(仏訳原文)
- ^ a b Parry, p. XII.
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- ^ Parry, p. XIV-XV.
- ^ 『イーリアス』 (V, 576-579).
- ^ Iliade (XIII, 658-659).
- ^ E Lasserre, L'Iliade, Introduction, éd. Garnier-Flammarion.
- ^ De oratore, III, 40.
- ^ Jacqueline de Romilly, Homère, 1999.
- ^ Iliade (XVI, 215–217), extrait de la traduction de Frédéric Mugler. Voir aussi Iliade (XII, 105 ; XIII, 130-134) et peut-être Iliade (IV, 446-450 = VIII, 62-65).
- ^ Odyssée (IX, 390–395).
- ^ 井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』講談社学術文庫、2008年。p152-153
- ^ fr:La Fille aux yeux d'or, édition Furne, 1845, vol.IX, p.2.(『金色の眼の娘』)
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