いただきます いただきますの概要

いただきます

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 08:22 UTC 版)

後述するように、挨拶として広く慣習化されたのは恐らく昭和時代からであり、古くからの伝統であるかは疑問視される[6]

語誌

「いただく」という語の語源は諸説唱えられてきたものの[7]、いまだ定説はない。この語は、元来、人間の「いただき」である頭上に載せる動作を指す普通語であったが、目上の人から物を賜る時に、それを高く掲げ、謹み(つつしみ)や感謝を表現して受け取ったことから、やがて「もらう」「買い受ける」を意味する謙譲語となっていった[3][8][7]。食べ物を「いただく」という場合、改まった式の日の食事で、神の前か貴人の前で、同時に同じものを食するときに言ったもので、もともとは食物を頭か額にまで掲げていたと考えられる[8][9][5][10][11]。中世に位階が細かくなると、人と会えばどちらかが目上であるということになり、また、相手を目上と思って尊ぶことを礼儀とするようになってからは、「いただく」機会は激増し[8]、この謙譲用法は確立されていった[3]。「食う・飲む」の謙譲語としての「いただく」は、室町末以後に成立した狂言に使用例がみられる[3]。したがって本来は、飲食物を与えてくれる人、または神に対しての感謝の念が込められていたと考えられる[5]

「いただきます」と「食べる」の語源の類似性が指摘されることがある。これは、神仏・貴人からいただく、すなわち「たまふ(給う)」という謙譲語から「たぶ」という古語が生まれ、これが変化して「食べる」の語源となったという説である[12]

食事前の挨拶以外の挨拶語としての「いただきます」は、食事前の挨拶としては「いただきます」を使用していなかった尼門跡で、正月行事の源氏かるたで札を取る時に「いただきます」という挨拶を行っていた記録が残っている[11][13]

挨拶の背景にある感謝

「いただきます」という言葉が謙譲語であるため、この挨拶の背景にはしばしば感謝の心があると指摘される。

上記の語源の通り、もっとも直接的な感謝としては、食事の提供者や農業・労働・調理にかかわった人への感謝があげられる[14][15][12][16][17]。現在も、調理や労働に携わった者、家族に向けて行われることが少なくない[18][19][17]

また、宗教的には神人共食の考え方が根底にあり、「いただきます」は神への感謝とする説が、民俗学等で唱えられている。ただし、この宗教的な考え方は現在では薄まり、現在は食事の作法として「いただきます」の挨拶が残っているとする[20][21][22][23][24]

これらの人や神への感謝に加えて、命を支える食物や、その食べ物を生み出す天地の恵み、それらを含めた関わったもの一切によって、我々が生かされていることへの感謝もまた、しばしば取り上げられる[25][26][14][21][12][27][28]

食材となった命への感謝説

1990年代以降の文献では、こういった様々な感謝の対象の中でも、食事になることで犠牲になった食材の命に対する感謝を取り上げる文献が多くみられる[18][29][30][31][32][33][34][16][35]。2001年には既にこの考え方は米国の文献にも登場している[36]

2004年のArran Stibbeによれば、福岡で行われた授業での、お年寄りから話を聞いて「なぜ『いただきます』と言うのか」を生徒に作文させるという課題では、この「犠牲になった食物への感謝」を祖母から聞いたという生徒が見られた[37]。また、2005年の金澤聡でもこの説は祖父母や両親から食卓で教わるものとしている[38]

1990年代の文献では、ひろさちやや仏教保育では、「いただきます」で終わる御仏に感謝する食前のことばを食前に唱え、その食前のことばの意味に「食物の命への感謝」が込められているとする[18][29]。2010年の大河内大博は、「犠牲になった食物への感謝」という考え方と、仏教の『出曜経』との関係性を指摘している[39]。2018年のKalinga Seneviratneによれば、この感謝の哲学は日本最大の宗派である浄土真宗の信仰に由来する[40]

さらに、2000年代以降は、この「犠牲になった食物への感謝」、「(食べ物に対して)あなたの命を『いただきます』」ということこそが「いただきます」の語源であるとする説も見られる[41][42]。2005年秋にはTBSラジオ「永六輔その新世界」にて「いただきます」が話題になり、2006年の毎日新聞の記事で永六輔は命をいただくことが「いただきます」であるという考えを述べているが[43]、2006年の福井県立若狭図書学習センターの調べではこの根拠は見つからなかった[10]

宗教学の観点から、1998年の関口和男は、以下のような分析を行っている: かつて米などの食用植物を作るには多大な労力が必要だったために、食物を大切にし、食事において「いただきます」「ごちそうさま」の挨拶を行っていた。しかし現在では機械化や集約農法により労力は大幅に減り、食物の無駄も増えている。それでも食べ物を粗末にすることへの抵抗感や「いただきます」「ごちそうさま」の挨拶が残っているのは、単純に前時代の習俗の名残や儒教の影響というだけでない。これは、自然を技術の投下対象として見る近代の考え方ではなく、人間と同等の生命体とみなすというアニミズム・原始的心性の聖性の考え方である。この考え方は自然保護のテーゼにも通じるものがある[15]

教育では、2000年の鈴木真由子らが学校教育への展開を考慮している[30]他、2005年の真鍋公士や2006年の弘中邦典らによって、「いただきます」の意味を考えさせ、「犠牲になった食物への感謝」を気づかせる教育が行なわれている[44]。2008年には、農業から調理、摂食までを通じて体験させることで、食材の命を認識でき、命を「いただきます」と唱えることができるようになるという報告もある[45]。また、食育においても「いただきます」について食と命の関係について取り上げられることがあるが、2011年の中村恵子らによる東北6県の食育推進計画の調査によれば、この時点ではこの取り組みが行なわれていたのは東北6県のうち山形県のみであった[46]。2013年の農林水産省の食文化学習ツールでは、「いただきます」は「いのち・知恵・労働・周りの人・自然」と様々なものに感謝しているとする[47]

食材への感謝心をもつことで、箸の使い方が良くなる[38]、好き嫌いが減る[35]とする文献があり、また食材への感謝心により残菜が少なくなったという報告がある[35][44]。また、「いただきます」・「ごちそうさま」という挨拶と食事への感謝心が、学童の朝食摂食につながるとする研究もある[48]

2012年の川嶋かほるの統計によれば、「いただきます」「ごちそうさま」の挨拶を行っていた79.8%の人のうち、「食事を作ってくれた人」に対して行っていたのは57.5%、「食べ物そのもの」に対して行っていたのは24.8%だった[17]


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