瓦窯(かわらがま)
瓦窯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 03:07 UTC 版)
台湾における民間建築は伝統的に紅瓦を用いていた。清朝統治時代は唐山より紅瓦を台湾に輸入していたが、清末になり台湾の人口が急増すると台湾で瓦窯が行われるようになった。台湾南部の瓦窯の大部分は台南県六甲鎮、高雄県旗山鎮渓洲、大樹郷大樹、竹寮両村に分布していた。最盛期人は大樹郷の瓦窯は20か所を越え、生産される紅瓦などの建築資材は高雄、澎湖、屏東、台南に供給されていた。しかし建築工法の変化や新しい建築材料の登場により紅瓦窯は次第に衰退していき、現在瓦窯は僅かに高屏旧鉄橋北側の三和瓦窯の3か所となり、生産される紅瓦も台湾の古跡修復用に主に用いられている。
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瓦窯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:06 UTC 版)
瓦の窯は大きく分けると登窯と平窯がある。また構造的には地山をトンネル状にくり抜いた地下式と、地面を掘りくぼめて粘土で天井を架構した半地下式とに分けられる。6世紀に百済から伝わったのは地下式登窯であったが、7世紀末の藤原宮造営期に半地下式平窯が登場する。しかし急激に移り変わるわけではなく、両者が並存し使用された期間も長かった。8世紀後半に有牀式平窯が登場すると中世まで主流となる。窯の構造は大きく分類すると燃料を入れる為の焚口、燃料が燃える燃焼室、製品を焼成するための焼成室、燃焼ガスを排出する煙道に分けられる。 登窯は焼成室の床に勾配がある窯で、窖窯(あながま)ともいう。造瓦技術と共に伝わった最初の瓦窯は地下式有階有段登窯と呼ばれるタイプである。須恵器窯と異なり燃焼室と焼成室の間に「階」と呼ばれる段差を設けて室を区分している。また焼成室の床は階段状になっている。また徐々に温度を上げる須恵器窯に対し、瓦窯は時間短縮のために急激に温度を上げるために燃焼室の勾配が急で、30度から40度である。焼成室の幅は奥に行くほど狭まっていて煙突効果を利用して効率よく窯内に熱を送る様になっている。また、近世になると釉薬瓦を生産する瀬戸美濃系では、陶磁器用の連房式登窯でも生産されるようになる。 平窯は焼成室の床が水平である窯である。藤原宮の造瓦を行った日高山瓦窯が最古のものとされる。これを改良した平窯が有牀式平窯である。特徴は焼成室に瓦を置くために牀(しょう)と呼ばれる台を数列設けている事である。牀の両脇の溝が焔道となり燃焼室で生じた高温の燃焼ガスを流すことで効率よく製品周囲の温度を上げる。燃焼室と焼成室の間には段と障壁があり、障壁に設けた分焔孔から焔道に燃焼ガスが吹きだすようになっている。また近世には焚口を両端に有する達磨窯が出現した。 なお、史跡などで「〇〇窯跡」などと称されることがあるが、それらは作業場や灰原(廃棄場所)を含む窯を中心とした工房跡であることが多い。そのような造瓦工房は歴史的には「造瓦所」「瓦屋」などと呼ばれた。隼上り瓦窯跡、赤保木瓦窯跡、瓦谷戸窯跡、天狗沢瓦窯跡、万富東大寺瓦窯跡、伊良湖東大寺瓦窯跡などがある。
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