ワット (Watt, James)
ワットという人は
スコットランド、グリーノックの船大工の家にニューコメン没後7年目に生まれる。 ロンドンで理学機械製造を学び、21歳でグラスゴー大学内に先生を主な顧客とした科学機械の製造修理店を開く。 潜熱を発見した同大学のブラック教授と親交を結び、ニューコメン機関の改良に取り組んでいく。
ワットの主な経歴
1765年、ワットの蒸気機関を完成させる。 ワットがニューコメン機関の大きな欠点と考えたのは一つのシリンダの中で蒸気と冷却水の両方を扱う点であった。 冷却器を別置して、シリンダでは高温蒸気のみを扱うとすれば大きな節約ができると考え、分離凝縮器を発案し特許出願する。 しかし当時の技術ではシリンダを正確に削ることができず、実現は1775年のウィルキンソンの発明を待たねばならなかった。
1769年頃には事業家ローバックの援助を受けることができるようになり、資金的、技術的な問題が解決され満足のいく蒸気機関を完成させることができるようになった。 石炭消費量はニューコメン機関に比べ四分の一程度まで下がり(それでも熱効率7%程度)、この低コストは各分野工場の目にとまる。
1781年、回転蒸気機関を開発する。ニューコメン式を引継ぎ当初はピストンが前後する往復運動のみであったワット機関であるが、顧客の需要にこたえるため回転機関へと変貌をとげていくことになる。 これまでの水車や風車といった動力は、エネルギーを自然から得るため安定しなかった。ワットの蒸気機関は石炭を燃焼させればいつでもどこでもその力を利用できた。 回転機関となった応用範囲の広いワットの蒸気機関は様々な作業、機械の動力源として利用され、最初の近代的原動機となる。 驚いたことに回転機関の第一案はロータリーエンジンであった(特許がらみの理由から)。
ジェームス・ワット
安全性の問題から圧力は大気圧とすることにこだわり、高圧蒸気の使用には反対の立場をとった。 高圧蒸気の使用は現在では常識だが、ここに至るにはワットの指摘どおり多くの犠牲を必要とした。
ワットにより汎用性を得た蒸気機関はイギリス産業革命の原動力になり、後に”蒸気機関の18世紀”と評されるようになる。 ワットの蒸気機関には遠心調速機が取り付けられ、これが世界初のフィードバック制御となる。 1804年にはレールを走る蒸気機関車が発明され、1825年には世界最初の鉄道営業運転(電気鉄道の祖はジーメンス)がストックトン‐ダーリントンで開始された。
蒸気機関の完成は熱力学の理論によらず、純粋に技術力の勝利であった。 ウェストミンスター寺院にはワットの大理石像が残されている。
仕事や電力の単位・ワット
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