SSKLストリームライナーとは? わかりやすく解説

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SSKLストリームライナー(1932年アヴスレンネン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)

モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「SSKLストリームライナー(1932年アヴスレンネン)」の解説

SSKLストリームライナー(1932年アヴスレンネン) アヴスコース図 SSKLは1931年シーズン前に4台が製造され最初の2台はワークスチーム用に確保され3台目ホーエンローエ=バルテンシュタイン伯爵家所有となり、4台目はハンス・フォン・ツィンマーマン男爵入手したツィンマーマン男爵はいとこであるマンフレート・フォン・ブラウヒッチュレース活動パトロンをしており、この車両はブラウヒッチュが使用することとなる。 1932年5月のアヴスレンネンに出場するにあたって高速サーキットアヴス用にブラウヒッチュのSSKLには空気力学専門家であるラインハルト・フォン・ケーニッヒ=ファクセンフェルト(英語版)の設計による流線形ストリームライン)のボディ架装された。コーチビルダーヴェッタードイツ語版の手になるボディは無塗装であるためアルミ合金そのまま銀色をしており、何よりもその異形大い注目集め、その形状から「キュウリ」であるとか「タイヤ付けたツェッペリン」といったあだ名付けられた。その形状は奇をてらったものではなく、この改造によりアヴスで重要となる最高速通常仕様のSSKLと比べて20 km/h向上したとされ、レース中の平均時速当時としては驚異的な194 km/h記録した。 このレース前年限りメルセデス去ったカラツィオラが駆る白く塗装されアルファロメオ・8C 2300モンツァとブラウヒッチュの銀色のSSKLストリームライナーによる一騎打ちとなった。カラツィオラが経験の浅いブラウヒッチュを相手首位入れ替えつつレース主導権握り最終ラップではカラツィオラが首位走行していたが、ブラウヒッチュが最後に逆転して4秒弱の僅差優勝飾った。 「 何という驚き! フォン・ブラウヒッチュがカラツィオラをリード銀色の矢が来る、マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ重く巨大な車です。最終コーナーフルスロットル回ってくる!(Welch eine Überraschung! Von Brauchitsch führt vor Caracciola! Eben kommt der silberne Pfeil, der schwere wuchtige Wagen des Manfred von Brauchitsch. Da schwingt er in die letzte Kurve hinein – mit Vollgas!) 」 —パウル・ラベン(1932年アヴスレンネン) このレースラジオ生中継実況をしていたパウル・ラベン(ドイツ語版)はブラウヒッチュが駆る銀色のSSKLのことをレース実況の中で「Silbernen Pfeil」(シルバープファイル、日本語で「銀色の矢」、すなわち「シルバーアロー」)と形容した。こうしてレース前に「キュウリ」と呼ばれたこの車両は、「シルバーアロー」という新たな異名得たのである。このSSKLストリームライナーは、1920年代から続いていたSシリーズ時代1934年以降「シルバーアロー」時代をつなぐ橋渡し役を担った車両として後に評価されることになる。

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SSKLストリームライナー(1932年アヴスレンネン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 06:38 UTC 版)

シルバーアロー」の記事における「SSKLストリームライナー(1932年アヴスレンネン)」の解説

モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ#SSKLストリームライナー(1932年アヴスレンネン)」も参照 W25がいつから「シルバーアロー」と呼ばれ始めたのか、正確なところが不明瞭である一方、W25以前メルセデス・ベンツ車両に対してシルバーアロー」という呼称用いられた例が存在する。これは上記のW25が登場する2年前、ダイムラー・ベンツレース活動停止していた1932年出来事になる。 1932年当時、ブラウヒッチュはプライベーター自費参加するアマチュア)としてメルセデス・ベンツ・SSKL(フランス語版)に乗ってレース参戦しており、この年5月開催されたアヴスレンネン(フランス語版)にもプライベーターとして参戦した。このレースは、ブラウヒッチュの流線形ボディ架装されたSSKLとルドルフ・カラツィオラアルファロメオによる一騎打ちとなり、最終的にプライベーター新人ブラウヒッチュがファイナルラップでカラツィオラを逆転して優勝を飾るという劇的な結果終わった。 このレースラジオ生中継実況をしていたパウル・ラベン(ドイツ語版)は、ブラウヒッチュが駆るアルミ剥き出し銀色に光るSSKLがファイナルラップでカラツィオラをオーバーテイクしたことに興奮しレース実況の中でブラウヒッチュのSSKLのことを「Silbernen Pfeil」(シルバーアロー)と形容した。これは「シルバーアロー」という用語がメルセデス・ベンツレーシングカー使用され最初の例だと考えられている。 Welch eine Überraschung! Von Brauchitsch führt vor Caracciola! Eben kommt der silberne Pfeil, der schwere wuchtige Wagen des Manfred von Brauchitsch. Da schwingt er in die letzte Kurve hinein – mit Vollgas!日本語訳:何という驚き! フォン・ブラウヒッチュがカラツィオラをリード銀色の矢が来る、マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ重く巨大な車です。最終コーナーフルスロットル回ってくる! — パウル・ラベン(1932年アヴスレンネン) メルセデス・ベンツはこの1932年の例ではなく上記逸話1934年シルバーアロー誕生した年としている。この点についてメルセデス・ベンツ・クラシックセンターの責任者2007年当時)であるヨーゼフ・エルンストは、1934年よりも前に銀色車両走っていたという事実は認めつつ、アヴスレンネンはドイツ国内レースであり、銀色のメルセデス・ベンツワークス車両が(ナショナルカラーで戦う)国際レース参戦するようになったのは1934年であるからその年を始まりの年にしていると説明している。

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