K-1・HERO'S
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2004年2月24日、K-1初参戦となった「K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜」1回戦で村浜武洋と対戦。村浜を相手にK-1ルール初挑戦ながら圧倒的なスピードとパンチ力を発揮、ノーガードで村浜のパンチを避け、ダウンを奪った後も追撃する2RKO勝利。だが、試合前から負傷していた右手第二中指骨を骨折し、準決勝を棄権した。 その後トニー・バレント、安廣一哉、ジャダンバ・ナラントンガラグを総合ルール(安廣のみミックスルール)にて一本・KO勝ち。そしてナラントンガラグ戦後、リング上からマイクで魔裟斗に対戦を要求。魔裟斗もこれを受け、2004年12月31日のK-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!で対戦。1Rに魔裟斗からダウンを奪った直後、金的を貰いダウン。リプレイが流れた会場では悲鳴が上がるほどのダメージを受け、実況席からも続行は無理と言われる程であった。また、完全に視線が下にいっている魔裟斗のリプレイ映像を見て解説の船木誠勝が故意であることを匂わせる発言をした。インターバルの後に試合は再開されたものの、精彩を欠いたKIDは2Rにダウンを取り返され、判定負け。 2005年3月3日のHERO'S旗揚げ発表会見に出席し、HERO'S参戦が発表されるも、怪我のため、3月26日のHERO'S旗揚げ戦は欠場となった。 2005年5月4日、K-1 WORLD MAX 2005のスーパーファイトにてK-1ルールで出場。しかしマイク・ザンビディスと対戦し、右フックでキャリア初のKO負けを喫した。 2005年7月6日、HERO'S 2005のスーパーファイトでイアン・シャファーと対戦し、TKO勝ち。 2005年9月7日、HERO'S 2005ミドル級(-70 kg)世界最強王者決定トーナメント準々決勝でホイラー・グレイシーと対戦し、右フックで失神KO勝ち、準決勝では宇野薫をパンチで出血させ、ドクターストップでTKO勝ち。 2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!にてトーナメント決勝戦を須藤元気と対戦し、右フックのダウンからパウンドの連打で1RKO勝ちを収めトーナメント優勝を果たし、キャリア初のベルト戴冠となった。この試合の決着場面において「レフェリーストップが早かったのでは?」という指摘が須藤とファンから挙がったが、後日にTBSで放送された格闘王で、レフェリーストップ直後に立ち上がった須藤の脳が揺れて足元がふらついてコーナーまでよろめいている映像が放送され、事なきを得た。須藤も後に「ストップされた時は、(ダメージがあったため)あまり覚えていない」と語っている。 2006年2月17日、修斗代々木大会に出場した同門の菊地昭の試合後にドクターチェック中であった中山健児リングドクターに対し、暴言を吐いた上、足先で臀部を小突いた。事態を重く見た日本修斗協会は2月21日、山本に修斗全公式戦会場立入禁止、山本が代表を務めるKILLER BEE(現・KRAZY BEE)所属全選手および関係者へ修斗全公式戦出場停止処分を下した。翌2月22日にKIDが中山リングドクターに謝罪し、和解したが3月6日付けでインターナショナル修斗コミッション(ISC)よりKIDへの無期限ライセンス不許可処分およびKILLER BEEへの厳重注意処分を受けた。10月12日にKIDがISCおよび日本修斗協会に謝罪し、10月13日付けで無期限ライセンス不許可処分が解除された。 2006年5月3日、HERO'Sで宮田和幸と対戦し、開始4秒の左跳び膝蹴り一発で失神KO勝ち。この膝蹴りで宮田は下顎骨を骨折する重傷を負った。試合後のマイクでは「ヤバイ、かっこ良すぎる、俺」と自画自賛した。
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