JR以外の私鉄
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京浜急行電鉄の快特三崎口行(下り)の一部列車は、品川(または京急川崎) - 金沢文庫間を12両編成で走り、そのうち4両を金沢文庫で切り離し、普通浦賀行または新逗子行になっていたが(上りはその逆で、京急川崎で切り離した4両は特急羽田空港行きとして運転)、この運転方式は2010年5月16日のダイヤ改正で廃止された。 京王電鉄京王線・高尾線の新宿駅 - 京王八王子駅・高尾山口駅の休日ダイヤの下り特急・急行は、高幡不動駅にて分割・併合していた。 東武鉄道快速・区間快速 : 浅草駅 - 下今市駅間など(野岩鉄道・会津鉄道直通列車有り)2006年ダイヤ改正までは、一部の区間急行において、新栃木駅で東武宇都宮線直通列車と分割・併合する運用が存在した。 2013年ダイヤ改正までは、朝ラッシュ時の上り区間急行は、南栗橋駅・館林駅で後方4両を増結して北千住駅まで10両で運転した。このうち浅草駅行きは北千住駅で後方4両を解結していた。同改正をもって10両編成の区間急行は廃止され、この運用も廃止された。 2017年4月21日ダイヤ改正で快速・区間快速が種別廃止となったため、東武鉄道が運行する一般列車においては、分割・併合運用が完全に消滅した。 リバティけごん・リバティりょうもう:浅草駅 - 東武動物公園駅間下り1本のみの運転で、東武動物公園駅で分割していた。 2020年6月6日のダイヤ改正で、リバティりょうもうが単行運転に変更されたため廃止された。 西武鉄道2013年3月15日までの西武新宿駅 - 拝島駅・西武遊園地駅 の急行は、萩山駅にて分割・併合していた。 名古屋鉄道2007年(平成19年)6月ダイヤ改正までの河和線で、朝ラッシュ時及び海水浴シーズンの臨時列車などに見られた。河和線・河和駅と知多新線・内海駅を発着する特急列車が併結されていたが、増解結は分岐駅の富貴駅ではなく、その約7.5 km名古屋寄りの知多半田駅で行われており、その間は続行運転されていた。 近畿日本鉄道同社では「親子列車」という呼称を用いた。 1983年から1998年までの間、大阪 - 湯の山温泉間特急列車(阪湯特急)は近鉄難波駅(現在の大阪難波駅) - 白子駅間で名阪乙特急と併結運転を行っていた。湯の山線の分岐駅は近鉄四日市駅だが、近鉄四日市駅での分割・併合は駅の構造上不可能なため、白子駅で分割・併合を行い、白子駅 - 近鉄四日市駅間は続行運転していた。湯の山特急の号車番号をアルファベットとしていた。 1976年3月以前および2003年3月ダイヤ変更から2012年3月ダイヤ変更までの間、京伊特急が大和八木駅から賢島駅まで阪伊乙特急と併結運転を行っていた。誤乗防止のため大阪発着の阪伊特急を1 - 4号車、京都発着の京伊特急をA - D号車としていた。1976年以前は大阪線に単線区間があったため線路容量の制限から行われていた一方、2003年 - 2012年は利用者の減少による合理化によるもので主に閑散時間帯での併結を行っていたが、最終的に京伊特急の本数を大幅削減したため併結も取りやめ(大和八木駅での京橿特急と阪伊特急の乗り換え)となった。また、年末年始の終夜運転ダイヤでは上記期間以外でも阪伊特急・京伊特急が大和八木駅以東で連結して運転することがある。 2012年3月20日のダイヤ変更以降、一部の京橿特急が、京奈特急を大和西大寺駅まで連結して運転していたが、2018年3月17日のダイヤ変更で廃止し単独運転に戻した。当時は橿原神宮前発着を1 - 4号車、奈良発着をA・B号車として運転していた。 その他、現在でも南大阪線の古市駅で分割した編成をその駅始発の列車として扱うものがある(ただし2013年3月のダイヤ変更まで運転していた大阪阿部野橋発富田林行と橿原神宮前行準急は当時の多層立て車両だったため除く)が、これらの列車は特に時刻表などでは接続列車として扱われ、事前に車内アナウンスなどで知らされるのみである。これは、方向幕に河内長野・橿原神宮前行きが存在しないためである。
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