普及の失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 13:12 UTC 版)
当時のJR各電車内の中吊り広告では、「ウィッキーさんのワンポイント英会話」(日本テレビのニュース情報番組『ズームイン!!朝!』内のコーナー)で知られたアントン・ウィッキーを登用し、「E電、いい言葉でしょ?」というフレーズで宣伝を行った。また、同時期に始まったドア上の横長広告スペースを利用した4コマ漫画型の自社広告「ひと駅マンガ」でも「E電」を宣伝した。 大々的にネーミングされた「E電」であったが、結局は普及せず、1990年代初頭までにはほとんど使われなくなった。「国鉄」の代替呼称である「JR」が、広く全国的に元の「国電」を含むものとして定着し、多くの人は「E電」という呼称を使用せず、「JR」または「JR線」を「国電」や「汽車」(地方では国鉄のことをこう呼んだ)の代わりに使用するか、路線名を直接呼ぶことで代替するようになった。不動産会社の広告でも「E電○○駅下車徒歩何分」といった表現はほとんど使われなかった。JR以外の私鉄などでの旅客案内においても、乗換案内や駅の表示では「JR線」とするか、路線名を直接案内している。 「E電」が定着しなかったことについては、ネーミングの失敗例としてしばしば取り上げられた。 不評だった原因の一例として、「E」は野球等でいう「エラー(Error)」を表すなど、「E」という文字にマイナスのイメージがあったことが挙げられる。読売新聞は発表翌日の1987年5月14日朝刊で「E電 イイ電? エラー電?」の見出しとともに、塩田丸男の「イースト、エンジョイのEといっても、エラーのEでありエロのEでもある。ちょっと、どうかと思うねえ」とのコメントを載せた。実際に「E電」のヘッドマークを装着した列車が走り始めた14日には新川崎駅や新松戸駅で人身事故のためダイヤが乱れ、同日の毎日新聞夕刊は「E電は“エラー電”?!」の見出しで8段抜き社会面トップ記事にて報じた。 「E電」のネーミングに対しては、国語審議会でも「日本語を乱す」として問題視されたほか、当時の運輸大臣であった石原慎太郎も「無神経なネーミング」と批判した。なお、のちに石原は東京都知事に就任後、都営地下鉄12号線の愛称公募で候補となった「ゆめもぐら」を批判して撤回させ「大江戸線」としている(詳細は「都営地下鉄大江戸線#路線名決定までの経緯」を参照)。 当時の日本ソフトバンクが発行していたパソコン雑誌『Oh!X』1987年12月号(40頁)に、『Oh!MZ』からの改題記念特別企画として掲載されていた記事「東京パソコン購入アドベンチャー」には「E電(なんて呼び名誰が使ってるのだろうか)秋葉原駅を降りると…」という記述がある。 また、1990年8月9日付『日本経済新聞』夕刊では「もはや死語」と書かれるなど、命名3年で早くも「死語」扱いされるほど定着しなかった。 選考委員であった小林亜星は、1994年に『読売新聞』の取材に対し、「私たちは選考過程を監視する立場だったが、妥当なものが少なく、これしかなかったというのが実情。それをマスコミ挙げての不協和音に恐れをなしたJRが、自信をもって使わなかったのだから、定着しないのも当然」とコメントしている。 2017年11月8日付『毎日新聞』掲載のコラム「ことば 賞味期限を探る「広辞苑」10年ぶり改訂 新語、流行語、そして死語」で、三省堂国語辞典編集者の飯間浩明は「横柄なイメージだった国鉄が民営化した途端に言い出したので、『何がE電だ』という反感が強かったのではないでしょうか。後に『Suica』が面白がられて定着したことを考えると、今なら受け入れられたかもしれない。」と指摘している。
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