ショパン:幻想即興曲 嬰ハ短調 (遺作)
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ショパン:幻想即興曲 嬰ハ短調 (遺作) | [Fantasie-]Impromptu cis-Moll Op.66 CT46 | 作曲年: 1835年 出版年: 1855年 初版出版地/出版社: Schlesinger, Meissonnier 献呈先: le Baronne d'Este |
作品解説
「Impromptu」とはラテン語に由来し、「準備のできていない」ことを意味する。この言葉は1822年に偶然にも二人の作曲家が同時に自作品に用いたのが最初とされる。音楽ジャンルとしての即興曲は、演奏技術としての即興とはあまり関係がない。それは単に、即興風の雰囲気を反映した楽曲という意味であり、19世紀以降の音楽ジャンルである(なお、即興風の音楽というアイデア自体はけっして19世紀固有のものではないが、それ以前には、トッカータ、カプリッチョなど様々な名称で呼ばれた)。
19世紀前半において、即興曲の伝統は大きく2つの流れがあった。ひとつは、流行しているオペラ・アリアの旋律や民謡旋律などを変奏しながら続けるもので、チェルニー、カルクブレンナーなどの他、リストにも佳作がある。もうひとつが、特定の形式をもたない抒情的な音楽内容のもので、この言葉を最初に用いたというヴォジーシェク、マルシュナーのほか、シューベルトの即興曲がその代表である。ただし、形式が定まらないといっても、多くはA-B-Aのアーチ型をしている。
ショパンは、シューベルトに連なる伝統を継承し、その創作の中期に《幻想即興曲》および3つの《即興曲》を残した。いずれも明確なアーチ型であり、中間部を「ソステヌートsostenuto」と称する。
本作は最初に書かれた《即興曲》であり、1835年にエステ公夫人に献呈、その音楽帳に作曲家自ら浄書した。しかしこの時ショパンは出版を意図していなかった。初版は死後、友人フォンタナの手によって1855年にドイツ、翌年にフランスで出る。しかしこれはどうやらエステ公家の音楽帳とは異なる資料に基づくとみられる。フォンタナによれば、ショパンが《即興曲》作曲したのは1834年。とすれば、初版譜は自筆浄書より古い稿として資料的価値があるということになる。これらの大きな違いは、中間部が「Largo/Moderato cantabile ♩=88」から「più lento/sostenuto」に改められ、一切のメトロノーム記号が削除されたことである。初版では、冒頭のAllegro agitatoにも「二分音符=84」の指定があった。初版がもし本当に、消失したもうひとつに自筆譜に基づくのだとすれば、1834年から35年のわずかな期間に、ショパンの即興曲に対する根本的な考えが変化ないし確立したということができる。初版はショパンの友人フランショムの筆写譜にも一致する点が多く、もうひとつの自筆譜が存在した可能性はきわめて高い。なお、《幻想即興曲》の名称もフォンタナの初版に帰するもので、ショパンの自筆譜にはただ《即興曲》とのみ書かれている。
この作品に用いられる「即興」技法は、第1番や第3番にみられるものとほぼ等しいが、実際にはそれほど効果を上げていない。また、左手が3分割であるのに対して右手を2分割とし、平行しながら決して交わらない2つの流れを生み出している。しかしこれも、切迫する2拍子の刻みを振りきるには至っていない。この曲の魅力は、結局のところその旋律の美しさなのだ。これだけ感傷に満ちた旋律を執拗に繰り返しながらも――全体が短調であるのにほとんど深刻さを感じさせないのは、この見え透いた感傷のお陰である――、まさに天才的な旋律美のなせる技といえよう。
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