CB1100R
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 23:09 UTC 版)
「ホンダ・CB1100R」も参照 1972年にオーストラリアで開催されたカストロール6時間耐久レースに端を発する「量産車によるレース」というコンセプトは、ユーザーが直接所有することのできる市販車両の最速を競うという触れ込みにより多くの関心を集めテレビ放送も行われるなど人気の高まりをみせた。しかし、オーストラリア国外ではレースは専用に開発されたレーサー車両で行うものという認識が根強く存在し、後のプロダクションレースへとつながるこれらのレース専用の車両開発は行われていなかった。そのためレギュレーションで定められた排気量制限に合致した本田技研工業製モデルはCBX1000あるいはGL1000といったレースに適さないモデルしか存在しなかったためCB900Fで参戦するが、ヤマハ・XS1100・スズキ・GS1000・カワサキ・Z1000MKIIといった排気量で優位に立つ他社モデルに後塵を拝した。スズキがヤマハに対抗するために開発したGSX1100Eに関する情報が明らかになるとHonda Australiaはこれ以上劣勢にたたされるわけにはいかないため対抗できるマシンの開発を日本に要求した。こうして1981年にCB900F用エンジンをベースに内径を70 mmまで拡大、鍛造ピストンやカムシャフトなど内部パーツを専用設計とし、プロダクションレースで勝つためのマシンとして開発されたのが本モデルである。 市販車両としての条件として課せられた「年間生産台数10万台以上のメーカーでは1,000台以上の生産台数」の条件を満たすため1980年に生産されたのがモデルコートRB・型式名SC05であり、生産台数1,050台がのうち100台がオーストラリアへ向け出荷された。また生産初期にはカウルの製造が間に合わなかったためFRP製カウルを装着した通常仕様(RB-2)と異なるネイキッド仕様(RB-1)が存在した。そして同年10月19日にアマルーパーク(英語版)で行われたカストロール6時間耐久レースに3台が出場し、マイク・ニール/アラン・デッカーらによって上位を独占した。 デビューを勝利で飾り性能の高さを証明した本モデルは、プロダクションレースの流行とともに当時レース活動の本拠地を設置していたイギリスでロン・ハスラムのライディングによる活躍で評価を確かなものとした。カストロール6時間耐久レースを参考にイギリスで行われたストリートバイクレースは、モーターサイクルニュース(英語版)とロイヤル・ダッチ・シェルがスポンサーとして参加し、ミック・グラント、ワイン・ガードナーといったライダーが参加する大規模なレースとして開催された。同レースに投入されたモデルコートRC・型式名SC08は1981年4月に行われた初戦のカドウェルパーク(英語版)をはじめ、6月にはスネッタートン(英語版)ならびにドニントン・パーク、8月にはオウルトンパーク、9月にはスカボローならびにマロリーパーク(英語版)、10月にはブランズハッチのレースで勝利し、初代チャンピオンに輝いた。 高い性能を有した本モデルであるが、特別車という扱いからレースで勝つためのマシンという本来の目的からはずれ、コレクターズアイテムとなる車両も多い。
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