CB&Q獲得合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 10:22 UTC 版)
「ノーザン・セキュリティーズ」の記事における「CB&Q獲得合戦」の解説
パーキンスの経営手腕により、CB&Qの営業成績は好調であり、NPが倒産した1893年恐慌(Panic of 1893)下でも配当を出すほどであったが、長期ストライキや州間通商委員会による摘発のために赤字に陥っていた。パーキンスは、CB&Qも大陸横断鉄道となり業績を回復すべきだと考えていたが、取締役たちの反対にあうなどしてそれが実現せず、CB&Qを手放すことを考えはじめた。 以前よりハリマンがCB&Qを買収するべく働きかけていたが、パーキンスは、1株200ドルにてCB&Qを売却する旨を公言。それにヒルが同意し、若干の譲歩をパーキンスから引き出しつつも、ジョン・ピアポント・モルガンの協力を得てGNとNPがCB&Q株を獲得した。割合は48.5%ずつであるが、NPとGNは提携しているため、ヒル陣営にとってとくに問題はなかった。 これに対して、ハリマンは親会社であるNPごとCB&Qの経営権を得るという画策を開始した。その策略は、モルガンと敵対していた投資銀行であるクーン・ローブ商会(Kuhn, Loeb & Co.)と、その頭取にしてかつてモルガンの強い影響下にあった銀行家・ジェイコブ・シフ(Jacob Henry Schiff)ともに進められた。
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