BMC時代(2014-2017年)
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「シルヴァン・ディリエ」の記事における「BMC時代(2014-2017年)」の解説
チーム所属1年目から活躍し、グロサー・プライス・デス・カントン・アールガウで2位、ツール・ド・ワロニーで総合3位、ヴァッテンフォール・サイクラシックスで9位に入る。スペインのポンフェラーダで行われた世界選手権には、チームタイムトライアルにBMC・レーシングチームの一員として出場し、世界チャンピオンに輝いた。その後、ロードレースに賭けて個人タイムトライアルを出場しなかった、ファビアン・カンチェラーラの代わりに個人タイムトライアルに出場して18位に入った。 2015年、ジロ・デ・イタリアに初出場し、総合52位で完走。翌月行われたスイス選手権個人タイムトライアルで優勝。世界選手権には、2年連続でチームタイムトライアルにBMC・レーシングチームの一員として出場し、2連覇を達成した。 2017年、ジロ・デ・イタリア第6ステージにて、ジャスパー・ストゥイヴェンとの一騎打ちを制して初のUCIワールドツアー及びグランツールでの優勝を獲得した。7月には、ルート・デュ・スュドで総合優勝した。
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BMC時代(1952年-1968年)
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「ウーズレー」の記事における「BMC時代(1952年-1968年)」の解説
BMCでも引き続きバッジエンジニアリングがおこなわれる。1952年、4/44が登場する。ジェラルド・パーマーデザインのなめらかなボディをもつこの車は、贅沢仕様のウーズレーの再来だった。エンジンはMG TDでも使われた1250cc XPナッフィールド・エンジンで、1952年のモーリスとオースチンというライバル同士の合併によるBMC設立によるものであり、このようなオースチンエンジンを利用した合理化はこの後BMCのすべての車両に対しておこなわれた。 1954年にはジェラルド・パーマーのデザインのプレステージ、つまり高価で権威付けられたモデルとして6/90が登場する。6/90はナッフィールド・ウーズレー最後のモデルといえるもので、ボディスタイルがライレーのパスファインダーと共通であるのみでオースチンとはまったく関係していない。6/90は新型2639ccのBMC Cシリーズ・エンジンを搭載したはじめての車でもある。 1956年に4/44がナッフィールド・ウーズレーの車として生産を終了し、外見は似ているがエンジンがBシリーズとなった15/50で置き換えられた。 1957年4月にはモーリス・マイナーの後継車としてウーズレー1500が投入される。これにもBシリーズエンジンが使われた。このボディはライレー 1.5と共有されている。ライレーと比較した性能では、1500は高級感をもち低コストの50年代GTiであった。 1958年にBMCはピニンファリーナをつかって新たなスタイルを模索していた。これには合併後いまだ覚めやらぬオースチンとモーリスのそれぞれの設計チームの軋轢を抑えようという意図もあった。 BMCファリーナの最初の作品はA40となった。しかしこれはウーズレーブランドでの姉妹車とはならなかった。この車のすぐあと、ピニンファリーナデザインでより大きなミッドサイズ車ウーズレー 15/60サルーンが発売される。これはパーマーの曲線美デザインの15/50の角型版だった。これはウーズレーだけでなく、MG、ライレー、モーリス、オースチンで発売された。このシリーズはバッジエンジニアリングの極端な一例であり、フロントグリルとボンネットのノーズ部分の違いと、車内のトリムレベルがブランドそれぞれの位置づけを反映したものというだけだった。 1959年にウーズレー 6/90の後継ウーズレー 6/99となる。6/99はオースチン A95と主要コンポーネントを共有しており、これはナッフィールド・ウーズレーの終焉となった。 6/99はA95よりも大きめに設計されていて、エンジンもよりパワーのあるCシリーズが使われていた。これはビッグ・ファリーナと呼ばれていた。小型4気筒エンジン版の15/60とはボディもコンポーネントも共有していなかった。 ビッグ・ファリーナは当初、オースチン、ウーズレーの2ブランド、そしてのちにバンデン・プラが加わり計3ブランドで発売された。バンデン・プラではプリンセス3リッターエンジンを搭載し、のちにはロールス・ロイス製4リッターエンジンをも搭載した。しかしながらいずれのモデルもその外観は同様だった。この3種のプレステージモデルは、4気筒エンジンの小型のファリーナよりも大きく、その形はボンネット、フロントフェンダー、リアフェンダー、フロントグリル、フロントパネル、ヘッドライト、トリムに及んでいる。 1961年ミニベースのホーネットとなる。拡大されたボディ、リアにはちいさなウイングフィンがつき、フロントグリルは伝統的なウーズレー顔とされた。ウーズレー・ホーネットおよび姉妹車のライレー・エルフは最小型車市場の上級クラスを狙い、よりよいミニとして化粧直しされたものだった。 1962年にモーリス・1100として登場した前輪駆動車、BMC・ADO16のウーズレー版が1965年になって「ウーズレー・1100」として登場した。これは1500の後継となった。1100は1967年にエンジン排気量を1275ccに拡大、1300となる。 1967年には、BMC・ADO17シリーズの一員として、やはり前輪駆動のウーズレー・18/85が登場した。 1968年にはビッグ・ファリーナと6/110MK IIが生産終了する。6/110 MK IIは1958年の6/99直系モデルの最終版で、ホイルベースが2インチ、エンジンが10bhp拡大され、室内も洗練されたものだった。これらに後継モデルはなく、ウーズレーとしての大型プレステージモデルは過去の存在となった。
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