20世紀以降の評価
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「ジャコモ・マイアベーア」の記事における「20世紀以降の評価」の解説
『オーケストラの音楽史』を著したパウル・ベッカーは「マイアベーアは栄光を手にしたにもかかわらず、「うわべの効果だけを狙った」という根拠のない中傷をいまだ受けている芸術家のひとりである。ワーグナーはマイアベーアのオペラを「理由もなく効果だけを狙った」作品だと酷評している。マイアベーアについては、軽視するような姿勢で臨むのが一種の流行りのようになっているが、彼の作品の技術的な側面のみを認めるのは妥当ではないように思われる。また、彼の作品に対する評価は、評する側の身勝手な関心や評価対象に対する不十分な知識に基づくことが多く、全く信用に値しない。オーケストラの発展という観点から見ると、マイアベーアはヴィルトゥオーゾの時代において最も大きな影響を及ぼした作曲家のひとりであり、純粋に音楽的観点からは最も独創性に溢れた発明家だと言える」と語っている。さらに、ベッカーは「マイアベーアは独創的で並外れた才能をすべてオペラに捧げた。管弦楽曲は一切書かず、オペラの場合も序曲ではなく、短い前奏曲を書いただけである。彼の創造力を刺激するのは、劇の一場面であり、その音楽は音による舞台装置と言えるかもしれない。スコアをどこか覗いてみれば、音楽で様々なことを説明しようとする意図がうかがわれる。それが彼の最大の特徴である。マイアベーアの音楽は効果を狙いすぎだと常々批判されている。例外は『ユグノー教徒』の第4幕で、ワーグナーが称賛したからだ。しかし、マイアベーアの卓越した音楽センスと、特にオーケストラの扱い方を考えれば、こうした非難はまったく的外れだ」と力説している。 グラウトは「マイアベーアは稀にみる才能に恵まれた融通無碍の作曲家であった劇場音楽の手仕事にかけて、オペラの歴史で彼に並ぶ人は数えるほどしかいない。効果をとらえる達人であった彼は、リブレットに含まれる場面や感動を盛り上げる可能性を最大限に生かそうと意識して努めた。音楽は旋律に富み、技巧的に極めて優れ、リズムは力強く、和声はしばしば創意に溢れ、オーケストレーションや合唱曲の書き方、ソロの扱い方など、どれを見ても才気に満ちている。その上、彼のオペラには美しく、感動深く、まじめで充分敬意を払って良い番号も少なくない」と評価している。 『ラルース世界音楽事典』によると「マイアベーアの成功の重要性と数年間にわたってオペラ界に及ぼした影響は偶然または単なる一時的流行によるものではない。彼の作品中にはすべてが十分に均衡を保った関係にある、特にひとつの壮大なオペラの典型という、細心に練り上げられた構想が現れる。このようにして、ひとつのオペラから他のオペラへと大規模でしかも密度の高いオーケストレーションと合唱だけの場面の取り合わせがみられ、それが堂々たる音のボリュームを生み出しているのに対し、楽器法では独奏パートの恐るべき困難さと、典型的にそして本質的に声楽のための書法が顕著になっている。 マイアベーアは同じくパリで活躍したユダヤ系ドイツ人であるオッフェンバックと比べても、人気の継続性、再評価ともに乏しい点は否めない。邦訳されたシューマンの評論集には、彼の評が十字架のマーク一つだけというものがある。しかし、マイアベーアは先進的な管弦楽法の扱いには長けており、その音響はワーグナーを明らかに刺激した。『ロマン派の音楽』を著したR.M.ロンイアーはマイアベーアの管弦楽について「ある種のオーケストラの効果を創案したのが、ベルリオーズであったか、マイアベーアであったかを断言することはできない」と述べている。現在では、彼の成功を妬んだ同時代の作曲家による攻撃と、彼が歌劇で行った様々な独創的な試みは、別個に整理するべきであるという態度に変わりつつある。
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