20世紀以降の欧米におけるノストラダムス現象
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「ノストラダムス現象」の記事における「20世紀以降の欧米におけるノストラダムス現象」の解説
二度の世界大戦を経て、ノストラダムス予言の注釈者は爆発的に増加した。第二次世界大戦の直前や戦中には、ノストラダムスをめぐって様々なトラブルが起こった。 フランスのヴィシー政権は、ナチスを刺激することを恐れて、マックス・ド・フォンブリュヌやエミール・リュイールらのノストラダムス解釈書を発禁処分にした。彼らの著書には、ナチスに否定的な未来予測が載っていたためである。また、ナチスは占星術師カール・エルンスト・クラフトに命じて、自分たちに都合のよい解釈を載せた著書を執筆させ、これをばら撒いた。 戦後、ノストラダムスに対する関心は落ち着いたが、1980年代になって再燃した。1980年に出版されたジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌの著書『歴史家にして予言者ノストラダムス』が国際的な大ベストセラーとなったためである。フォンブリュヌの著書は、1981年になって、その年のミッテラン政権誕生やヨハネ・パウロ2世狙撃を予言していたとして話題になり、オリジナルのフランス語版だけで100万部を超えた。次いで、様々な言語に訳され、アメリカ、イギリス、ドイツ、スペイン、カナダ、ブラジル、トルコなどでも出版された。 フォンブリュヌの的中例とされたものは、必ずしも実際の事件に一致するものではなかったが、著書の内容が近く起こる第三次世界大戦とそれによるパリ壊滅を描き出すものであったため、多くのフランス人の不安を煽った。これに対しては、フランス国内で複数の反論書や批判的な書評が寄せられ、ノストラダムス協会も反対の姿勢を明確に打ち出した。 ジャン=ポール・ラロッシュによって作成された、フランスを中心とするノストラダムス関連文献の刊行点数のグラフによれば、爆発的に刊行点数が増えたのは、1981年、1986年、1999年、2001年であったという。これらの年にはいずれも刊行点数は50点を超えている。ただし、フランスの場合、1980年代以降には実証的な立場からの優れた研究も相次いで刊行されたので、関連文献が全て信奉者の解釈書というわけではない。 1999年にはファッションデザイナーのパコ・ラバンヌが、恐怖の大王の正体はロシアの宇宙ステーション「ミール」の墜落であると主張して、フランスでは話題となった。2001年には、英語圏でもフランス語圏でも、アメリカ同時多発テロ事件に便乗し、ノストラダムスの予言の中からこれを読み取ろうとする言説がインターネット上を駆け巡り、関連書も急増した。 こうした欧米のノストラダムスブームは、アラブ社会における終末論の論じられ方にも間接的に影響を及ぼしたとする指摘もある。
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