ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ
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ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ (Jean-Charles de Fontbrune, 1935年10月29日 - 2010年12月7日)は、フランスの作家。16世紀フランスの占星術師ノストラダムスの『予言集』について信奉者[注釈 1]の立場から解釈した著書『歴史家にして予言者ノストラダムス』(1980年)が国際的なベストセラーになった。
注釈
- ^ 便宜上、ノストラダムスの予言に未来のことが正しく書かれていると信じ、それを解読しようとする人々のことをこう呼ぶ。
- ^ ここではこの詩の初出となった版の原文を引用した(引用に際して、一部を現代式に綴り直した)。マックス・ド・フォンブリュヌは1605年版を底本として使用していると明言しているが、この詩については有意な差はない。なお、この詩を挙げたのは、ドレヴィヨン & ラグランジュ (2004) p.88 では、この詩の解釈がヴィシー政権の弾圧理由に挙げられているからである。
- ^ 以上は Fontbrune (1982) の要約だが、原書は断片的なイメージの羅列のため、要約に当たっては、フォンブリュヌ (1982) p.343 の訳者による要約と Hoebens (1982) p.38 の要約を参照した。
- ^ ただし、その発行部数は7355部とされている(志水一夫 (1997) 『改訂版 大予言の嘘』 データハウス、p.140)。
- ^ ここでは初版本の原文を引用した(引用に際して、一部を現代式に綴り直した)。フォンブリュヌは1605年版を底本として使用していると明言していたので、若干その版と異なる部分はあるが、瑣末な差なのでここでは省く。
- ^ なお、ノストラダムスが過去の歴史的事件などをモデルにして詩を書いたと推測する歴史学者のロジェ・プレヴォからは、この詩は1305年にリヨンで行われた教皇クレメンス5世の即位式と関連付ける説が提示されている。この即位式では、行列の上に壁が崩れてきて、教皇自身は教皇冠が土にまみれるなどの不名誉を蒙った代わりに無事だったものの、貴族たちには死傷者が出た (R. Prévost (1999), Nostradamus : mythe et réalité, Robert Laffont, pp.42-44)。この説はブリューノ・プテ=ジラール、ピーター・ラメジャラーらが支持している (B. Petey-Girard (2003), Nostradamus - Prophéties, Flammarion, p.228 ; P. Lemesurier (2010), Nostradamus, Bibliomancer : the man, the myth, the truth, New Page Books, p.129)。
- ^ この場合の不適切というのは、イオネスクのような「正しい」解釈よりも、フォンブリュヌのようなセンセーショナルに煽る解釈に飛びついたことについてであって、信奉者的解釈を持ち上げることそのものについて不適切と表明したわけではない(イオネスク (1993) pp.10-12)。
- ^ これに対しては、フォンブリュヌの意図を捏造しているという批判があり、解釈手法に対する批判などにしても、人のことを言えないとする評価もある(山本 (1999) pp.81-82、志水 (1997) p.148)。
- ^ この批判については、むしろ加治木の比喩理解の方が異質だとする批判もある(志水一夫 (1998) 『トンデモノストラダムス解剖学』 データハウス、p.184)。
- ^ この書評に対してはフォンブリュヌ自身が反論を寄稿し、同誌第3号に掲載された。
出典
- ^ Fontbrune [1980](1982) p.11
- ^ Fontbrune (1975) p.I
- ^ Benazra (1990) p.482
- ^ Benazra (1990) p.492
- ^ Les Propheties de M. Michel Nostradamus, Lyon, le 6 septembre 1557, p.84
- ^ Fontbrune (1939) p.183, ドレヴィヨン & ラグランジュ (2004) p.88
- ^ a b ドレヴィヨン & ラグランジュ (2004) p.88
- ^ Benazra (1990) p.504, ベルクール (1982) pp.27-32
- ^ Benazra (1990) p.520
- ^ Benazra (1990) p.557
- ^ Benazra (1990) p.559, Fontbrune [2000](2003) p.263
- ^ フォンブリュヌ (1982) p.43
- ^ a b La mort de Jean-Charles de Fontbrune, spécialiste de Nostradamus - Libération
- ^ 高田 (1982) pp.342-343
- ^ a b フォンブリュヌ (1982) pp.18-19
- ^ a b ドレヴィヨン & ラグランジュ (2004) p.61
- ^ Fontbrune [2000] (2003) p.265
- ^ a b c Nostradamus perd l'un de ses exégètes - SudOuest.fr
- ^ フォンブリュヌ (1982) pp.34-35
- ^ ドレヴィヨン & ラグランジュ (2004) p.59
- ^ Randi (1991) p.162 / ランディ (1999) p.214
- ^ Hoebens (1982) p.38
- ^ Fontbrune (2003) pp.263-263
- ^ 田窪 (1999) p.148
- ^ Laroche (2003) p.119
- ^ Les Propheties de M. Michel Nostradamus, Lyon, 1555, f. f(i) recto
- ^ Th. Garencieres (1672), The True Prophecies or Prognostications of Michael Nostradamus, Th. Ratcliffe & N. Tompson, p.101 ; B. Guynaud (1712), La Concordance des Prophéties de Nostradamus, la veuve Jacques Morel, p.367 ; M. d'Odoucet (1790), Révolution française,..., pronostiqués par les Prophétiques Centuries de M. Michel Nostradamus, s.l., p.39
- ^ ジェイムズ・レイヴァー (1999) 『預言者ノストラダムス』 中山茂・中山由佳 訳、小学館〈小学館文庫〉、p.288 (原著は1952年); エリカ・チータム (1988) 『ノストラダムス全予言』 山根和郎 訳、二見書房〈サラ・ブックス〉、p.101 (原著改訂版は1981年)etc.
- ^ Fontbrune (1982) pp.303-304 / フォンブリュヌ (1982) p.101
- ^ Benazra (1990) p.572-573
- ^ a b ヴライク・イオネスク (1991) 『ノストラダムス・メッセージ』 竹本忠雄 監訳、角川書店、p.350
- ^ イオネスク (1993) p.10
- ^ ベルクール (1982)、五島勉 (1982)
- ^ 五島勉 (1981) 『ファティマ第三の秘密』 祥伝社〈ノンブック〉、p.216
- ^ 五島 (1982) pp.26-28, 125-131, 177-186 etc.
- ^ J. Hogue [1997](1999), Nostradamus : The Complete Prophecies, Element, p.912
- ^ 加治木義博 (1991) 『人類最終戦争 1991-1995 第三次欧州大戦』 KKロングセラーズ、pp.41-42
- ^ 加治木義博 (1992) 『真説ノストラダムスの大予言・あなたの未来予知篇』 KKロングセラーズ〈ムックセレクト〉、pp.36-38
- ^ 麻原彰晃 (1991) 『ノストラダムス秘密の大予言』 オウム出版、pp.59-64, 77
- ^ ドレヴィヨン & ラグランジュ (2004) pp.73-74
- ^ Laroche (2003) p.119
- ^ フォンブリュヌ (1982) p.344
- ^ 高田 (2000) p.304
- ^ Benazra (1990) pp.574, 588
- ^ Fontbrune (2003) pp.264-265
- 1 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌとは
- 2 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌの概要
- 3 主な著書
- 4 参考文献
- 5 外部リンク
ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(Jean-Charles de Fontbrune)
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製薬会社管理職(1982年)。1935年生まれ。父マックス・ド・フォンブリュヌのノストラダムス解釈を踏襲した。1980年に刊行された『歴史家にして予言者ノストラダムス』は大きな反響を呼び、アメリカ、イギリス、ドイツ、スペイン、カナダ、ブラジル、トルコ、日本(『新釈ノストラダムス』講談社)などでも相次いで出版された。その恣意的な解釈には批判も寄せられ、日本では五島勉が批判を展開した(これについては人のことを言えないとする意見もある)。
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