ヘラー:2つのワルツ
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ヘラー:2つのワルツ | Deux Valses Op.62 | 出版年: 1846年 初版出版地/出版社: Schlesinger |
ヘラー:2つのワルツ
バイエル:2つのワルツ
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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バイエル:2つのワルツ | 2 Valses Op.147 |
タイユフェール:2つのワルツ
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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タイユフェール:2つのワルツ | Deux Valses | 作曲年: 1928年 出版年: 1962年 初版出版地/出版社: Henry Lemoine 献呈先: 1.Henri Sauget, 2.Vittorio Rieti |
ショパン:2つのワルツ (第9・10番)
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ショパン:2つのワルツ (第9・10番) | 2 Valses (As:/h:) Op.69 CT215-216 | 作曲年: 1835, 1829年 出版年: 1855, 1852年 初版出版地/出版社: Berlin |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例![]() |
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1 | 第9番 変イ長調「告別」 No.9 op.69-1 "L'adieu" As dur | 4分30秒 |
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2 | 第10番 ロ短調 No.10 op.69-2 h moll | 4分00秒 |
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作品解説
《円舞曲 Valse》 変イ長調 作品69-1 没後出版
【作品の基本情報】
作曲年:1835 出版年:1855(Paris, Berlin)
献呈 :マリア・ヴォジニスカ Maria Wodzi?ska(献辞:1835)、シャルロット・ド・ロットシルド Charlotte de Rothschild(献辞:1842)
【楽譜所収情報】
パデレフスキ版:No. 9(フォンタナ版), No. 9bis(1835年手稿譜に基づく)/
エキエル版:WN47, [SeriesB]-7a(A Mme Peruzzi, 後の自筆譜に基づく), [B]-7b(Pour Mlle Marie, 初
期の自筆譜[コピー]に基づく), [B]-App.(補遺)7a(もっとも初期の版), [B]-App. 7b(フォンタナ版
/コルトー版:No. 9/ヘンレ版:No. 9a(Pour Mlle Marie), No. 9b(フォンタナ版)/
ペータース版(原典版):(No. 15a : 1835年手稿譜に基づく, No. 15b : 1842年自筆譜に基づく。ヴァリ
アント付き)
自筆譜、複数の献辞、複数の版が残されており、楽譜状況は極めて複雑である。近年刊行されているエキエル版、ペータース版は、この作品から作品番号(69-1)を取り除いており、また作品69-2とされていたロ短調のワルツとも別作品として扱っている。
ショパンがパリに腰を落ち着けてから作曲したワルツは全部で12曲あり、そのうち8曲がショパンの生前に出版された。この変イ長調のワルツを含む残りの4曲は、ショパンが個人的な贈り物として作曲したものであり、むしろ出版を望んでいなかったとも考えられる。変イ長調のワルツにはそれぞれ1835年、1837年、1842年の日付が記された3種類の自筆譜が残されている(1835年の自筆譜はコピー)。もっとも著名なのは「1835年9月ドレスデン、マドモワゼル・マリー[マリア]へ」と記された楽譜であり、各版が収録している。献呈されているマリア・ヴォドジンスカはショパンにとって唯一結婚を約束した女性であり、彼の理想の女性であり続けた。
ワルツが作曲されたのは1835年9月、ショパンがドレスデンのヴォドジンスキ家に滞在中とされている。ボヘミアのホーエンシュタイン家を訪ねた後(作品34-1参照)、パリへの帰途ドレスデンで、ショパンはワルシャワ時代からの付き合いであるヴォドジンスキ一家と再会した。恐らくピアノを演奏しながら即興的に作曲し、楽譜に書き留めたのであろう、「あの《ワルツ》(あなたが最後にお弾きになって、私たちにくださった曲です)を私が弾いて楽しんでいると、みな聴いて楽しんでいます」という、マリアからショパンに宛てた手紙が残されている。この時わずか16歳であったマリアは、1837年3月には「決別Adieu」の手紙をショパンに送り、恋は終わることとなった。このため、通称「別れのワルツ Valse de l'adieu」と呼ばれる。
思い出の曲でもある変イ長調のワルツは、その後修正されていずれもピアノの弟子であった別の女性に贈られている(1837年にはPeruzzi夫人へ、1842年にRothschild嬢へ)。基本的にはトリオを挟む三部形式(A-a-A-B-b-B-A)であり、各バージョンの差異は即興性によるところが大きい。一拍目をぼやかすかのような、半音階下行のアウフタクトによる弾き出しは、はっとするような美しさと色気を醸し出している。 (2010年1月 安川智子)
《円舞曲 Valse》 ロ短調 作品69-2 没後出版
【作品の基本情報】
作曲年:1829 出版年:1852 (Krakow), 1853 (London), 1855 (Paris, Berlin)
献呈 : (コルベルクWilhelm Kolberg)
【楽譜所収情報】
パデレフスキ版:No. 10(フォンタナ版), No. 10bis(手稿からとられたオックスフォード版)/
エキエル版:WN19, [SeriesB]-2a, [B]-2b, [B]-App.(補遺) 2a, [B]-App. 2b/コルトー版:No. 10/
ヘンレ版:No. 10a, No. 10b/ペータース版(原典版):(No. 9a, No. 9b, No. 9c)
現存しているショパンのワルツの中ではもっとも早い時期の1829年に作曲された。ポーランド時代である1829年から1830年の間に、ショパンは5つのワルツを残しており、これらの曲はショパンの死後、姉のルドヴィカが「未出版作品リスト」に含め、その後それぞれ出版されたものである。ロ短調のワルツには複数の自筆譜の存在が推測されるが、いずれも失われている。
クラコフ、ロンドン、パリ(フォンタナ版)、ベルリン(フォンタナ版)で出版された初版譜や、残された写譜家不明の手稿譜の多様さから、ショパンが様々な形で試行錯誤していたことが分かる。曲構成はいずれも単純な三部形式であるが、初期の写譜およびポーランド初版がA-A’-B-Aの形とするならば、フォンタナ版はA-A’-B-A-A’と再現部が引き延ばされ、ショパンの特徴であるいびつな対称性が修正されてしまっている。また写譜と各初版譜で異なるのは、冒頭嬰へ音の扱いである。すなわち初版譜では、アウフタクトで一拍早く始まるこの音を、次の小節へとタイでつなげているが、初期の写譜に基づく版では、打ち直したりアウフタクトにアクセントをつけるなど多彩である。それだけ最初の一音を大切にしていたということであろう。
初期のワルツが集中的に作曲された1829年、まだ19歳のショパンはワルシャワ音楽院の歌姫コンスタンツァにはじめての恋をしていた。友人ティテュスとのウィーン旅行から戻った10月3日、「僕にとっては不幸なことかもしれないが、僕はすでに理想のひとを見つけた」とティテュスに打ち明けている。1829年から30年にかけて作曲された8つの歌曲はいずれも恋の不安と憧れを歌っており、恋の病にとらわれた青年の悩ましげな「うた」はこのロ短調のワルツにも脈づいている。
2つのワルツ
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