1999年-2000年:形勢逆転とは? わかりやすく解説

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1999年-2000年:形勢逆転

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 16:12 UTC 版)

マンデー・ナイト・ウォーズ」の記事における「1999年-2000年:形勢逆転」の解説

1999年明けた時点で、両番組は毎週視聴率5.0コンスタント上げており、また人気レスラー一般誌表紙登場するなどし、プロレス人気が高いことが示された。 1月4日ジョージア・ドームから放送されナイトロメインイベントでは、ゴールドバーグケビン・ナッシュタイトルマッチ予定されていた。しかし番組中盤ゴールドバーグは(筋書き上)警察逮捕されてしまう。代わってハルク・ホーガンケビン・ナッシュと戦うことになったのだが、その試合ではホーガンナッシュの胸を軽く指で突きナッシュがすぐに倒れてフォール奪われた。あからさまなタイトル移動の後、nWo再結成された。のちに「フィンガーポーク・オブ・ドゥーム」と呼ばれるこの出来事で、WCW明らかに信頼性失った。本来予定されていたゴールドバーグ試合がなかったばかりか、メイン試合後のリング上でnWo無惨陵辱されたためである。これに対しロウ事前に行われたWWF世界ヘビー級選手権放送試合当時団体代表するカリスマ的人気博していたマンカインドザ・ロックの2名が対峙し、ベビーフェイスマンカインドD-ジェネレーションXが、体制ヒールロックコーポレーションリングサイドにつく形で見守っていた。試合終盤、両セコンド陣の乱闘最中ストーン・コールド・スティーブ・オースチン乱入ロック椅子殴打しマンカインドフォール助ける形で彼のタイトル奪取支援したナイトロロウ試合結果把握するや否や、すぐに自らの番組内公表したが、皮肉にもナイトロからロウ番組切り替える視聴者続出する事態起きてしまった。 ロウ視聴率ナイトロより優位に立ち始めると、WCW一連の応急処置でこれに対応したラッパーマスターP登場させたり、メガデス、チャド・ブロック、キッスコンサート番組内行なったのだが、結局視聴率ロウに勝つことはできず、1999年9月にはエリック・ビショフ解雇された。一方WWEは、ザ・ロックミック・フォーリーによる、ドキュメンタリー番組"This is Your Life"をモチーフにしたリング上で25分にもわたるスキット9月27日放送すると、15分間毎の視聴率で8.4という高い数字たたき出した。プロレス試合ではなくリング上の長いスキットが高視聴率であったことは異例で、ザ・ロックミック・フォーリーという二人タレント性が高かったことを示している。 1999年10月5日WWFライターをしていたビンス・ルッソーとエド・フェララの二人は、WCW引き抜かれた。WWF数々アングル作った実績買われことによる引き抜きであったが、この二人ナイトロロウそっくりにしてしまった。 1999年12月ブレット・ハートスターケードでのゴールドバーグとの対戦負傷しレスラーとしてのキャリアを終わらせた。WCW視聴率資金落ち込み続け、翌2000年1月総合格闘家タンク・アボット世界王者に置くアングル作った時にルッソとフェララの両者解雇された。ケビン・サリバンが後を継いでブッカーとなったが、WCWレスラーたちの間で問題となり、『ソウルド・アウト2000興行WCW王者になったクリス・ベノワほか、エディ・ゲレロペリー・サターンディーン・マレンコとともに団体辞めたベノワ王者になってから15日後、4人全員がザ・ラディカルズとしてWWF入ったナイトロ視聴率低下とともに2000年1月には放送時間を2時間縮小した2000年4月ECW契約切れた当時ECW王者マイク・アッサム雇った彼のWCWへの登場は、ECWオーナーポール・ヘイマン訴訟引き起こした結局マイク・アッサムWCW契約したレスラーECW王者)はWCWセキュリティとともにECWリング上がりタズWWF契約したレスラー)と試合をして、王座タズ移動した。そしてタズECW王者として『WWFスマックダウン』に登場しWWF王者トリプルH戦い、そして敗れた。この王座移動は、WWFWCWに対して優位であることを知らしめた。 2000年4月10日ビショフとルッソーは再びWCWブッカーとして雇われた。WWF奪われ優位奪回することを目的とし、ホーガンフレアーダイヤモンド・ダラス・ペイジなどWCWのベテランスターたちをまとめてミリオネアズ・クラブを結成ビリー・キッドマンブッカーTバフ・バグウェルなどの若いスターたちのニュー・ブラッドとの世代抗争アングル作った世代抗争はたいてい若い世代が、スター選手に対して勝つか引き分けるかの結果を出すものだが、ニュー・ブラッドの顔ぶれはいずれ実力カリスマ性ともに劣っていたためか、このアングル成功しなかった。 WCWはさらに混迷した。WCW取り上げた映画宣伝のため、俳優デヴィッド・アークエット世界王者据えたり、ルッソ自身王者ブックする愚挙までした。 当時テッド・ターナーはすでに団体経営から身を引いていた。WCW1996年タイム・ワーナーに、その後2000年AOL買収された。番組広告減少ハウスショー観客動員力の低下、ベテランスターへの契約金などにより、2000年WCW損失は6200ドルのぼった7月には再びビショフ去りその後はフェララ、ジェフ・ジャレット、ビル・バンクス、ジェレミー・ボラッシュ、ディスコ・インフェルノなどさまざまなスタッフレスラーブック関与し混迷極まった2000年終わりにはWCW消滅する噂が上った

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