1990 - 2000年とは? わかりやすく解説

1990 - 2000年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 18:13 UTC 版)

シンディ・ローパー」の記事における「1990 - 2000年」の解説

1990年デビュー前から思うがままに、自由奔放に活動していたが、デビューしてからの商業的成功名声得たことにより、レコード会社周りスタッフからサウンドの面から様々な面で制限され創作活動の自由を失っていた頃、再び映画出演をし、『マイアミ・ムーン/Off And Running』の撮影マイアミで始まる。 そんな頃にオノ・ヨーコからリバプール行われるジョン・レノン生誕50周年コンサート』への参加依頼され、「Hey Bulldog」「Working Class Hero」をローパー自身アレンジしバンドメンバー演奏する。 さらにベルリンの壁崩壊記念してベルリン行われた、『ザ・ウォール・コンサート』に参加したり、湾岸戦争反対のためのプロジェクトオノ・ヨーコレニー・クラヴィッツと共に参加する第41回NHK紅白歌合戦には中継ではなく来日して出演1991年映画共演きっかけ俳優デヴィッド・ソーントン11月結婚する1992年ミュージカルタイクーン』のサウンド・トラック参加しシングルThe World Is Stone」がヨーロッパ各国、特にフランスでは3か月トップ5内を記録するなど大ヒットする。 1993年フーターズのロブ・ハイマン、エリック・バジリアンアリー・ウィリス、夫のデビッド・ソーントンらの助け借りて製作された4目のオリジナル・アルバムハット・フル・オブ・スターズ/HAT FULL OF STARS』を発表ローパー自身全曲曲作り携わりアルバム・カバーやさらにビデオ監督までプロデュースして全て手掛けた。このアルバムローパー自身やりたいことを貫き通し信じられる歌を歌い周りの人たちにもっと自分意見提示していいこと気付き妥協することなく製作された。自分真実語った新しアルバム一人一人聞かせるために、アメリカでのクラブ・ツアーを行い大きな話題呼んだサンフランシスコクラブステージ上で商業的な理由から外されたという8年歳月経て発表した「ア・パート・ヘイト」のことや自身葛藤苦悩明らかにした。この年年末来日公演行いその後シンガポール台湾と回る。 1994年、初のベスト・アルバムグレイテスト・ヒッツ/TWELVE DEADLY CYNS...AND THEN SOME』を発表全世界400万枚上のセールス記録しワールド・ツアー南米ヨーロッパ日本行われた1995年阪神淡路大震災被災者寄付ツアー引き続きイギリス・オランダ・アメリカと行われ年末再来日公演行った。 『オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!』(フジテレビ正月特番)でものまねタレント斉藤ルミ子がまねた時にご本人として専属ダンサー引き連れて登場特別出演し『Hey Now』を披露した本人によれば正月パーティーがあると聞かされた」とのこと1996年、5目のオリジナル・アルバム『シスターズ・アヴァロン/SISTERS OF AVALON』を発表4年連続となる年末来日公演を行う。アルバムには上々颱風参加しており、武道館公演では飛び入りライヴ参加した生田神社 (神戸市) の「震災復興節分祭」で豆まきを行うために来日。しかし、豆まき参拝客が殺到してわずか2分で中止になる。 1997年11月44歳にして長男デクラン・ワレスを出産念願だった子供授かる1998年クリスマス・ソングクリスマス関係した曲を集めた初のシーズナル・アルバム『メリークリスマス…ハヴ・ア・ナイス・ライフ!/ Merry christmas...Have a nice life!』を発表ジャケットには夫のデヴィット、ブックレットにはデクランと共に写っており、収録曲の「New Year's Baby(First Lullaby)」には当時乳幼児であったデクランの声が収録されている。このアルバム最後にソニー・レーベルとの契約が一旦終わった1999年、『グラミー賞 Best Dance Recording部門ノミネートされた「Disco Inferno」がJellybean Recordsから発売されクラブチャートでヒットしシェールと共に3か月半に及ぶ大規模な北米ツアーにでる。またアメリカTV番組Mad About You」に再出演したり、クリストファー・ウォーケン共演した映画『The Opportunists』の撮影が始まる等、女優活動精力的に行う。 2000年映画『The Opportunists』が公開され各方面高い評価を受ける。またこの年、ジョニ・ミッチェル・トリビュート・コンサートに出演したり、シェリル・クロウハートディスティニーズ・チャイルドと共にガン撲滅のためのチャリティー・ライブ『Girls With Guitar Concert』に出演する

※この「1990 - 2000年」の解説は、「シンディ・ローパー」の解説の一部です。
「1990 - 2000年」を含む「シンディ・ローパー」の記事については、「シンディ・ローパー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1990 - 2000年」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1990 - 2000年」の関連用語

1990 - 2000年のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1990 - 2000年のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのシンディ・ローパー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS