1990 - 1999 復活~ジョンソン脱退
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マコーリフ、ボナッツィ、ウィリアムズ、デュフォートの4人は1990年にトーヤ・ウィルコックスのサポートメンバーとして参集し、トーヤをフロントに立てたシー・デヴィルズを結成。翌1991年にはドラムスがデュフォートからリディ・ギャレイズに交替し、ストレンジ・ガールズの名で再編成。翌1992年にかけてイギリス・ツアーを敢行する。 ツアー終了後、バンドはデュフォートを復帰させ、正式にガールスクールの名前を復活。ベースにジャッキー・カレラを迎え、初のセルフ・プロデュースによるアルバム『ガールスクール』(Girlschool) をイギリスの独立レーベル、コミュニークからリリースした。独立レーベルからのリリースは、世界レベルでの大規模な販売を放棄した代わりに、本作のカルト的人気を演出した。バンドはマネージメントもすべて自分たちで行いながら精力的にギグを行った。同年のヨーロッパ・ツアー後、ジャッキー・カレラが脱退しトレイシー・ラムが復帰、さらに翌年クリス・ボナッツィが脱退し、リード・ギタリストとしてケリー・ジョンソンが9年ぶりに復帰した。 ガールスクールは1990年代を通じて精力的にライヴを行い、1999年8月6日のヴァッケン・オープン・エアでのプレイはそのハイライトとなった。 1999年、ケリー・ジョンソンがグループを脱退(ジョンソンはこの時点でガンに侵されていた)。後任にジャッキー・チェンバースが加入。
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