1945年 - 1959年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:55 UTC 版)
「ラジオ」の記事における「1945年 - 1959年」の解説
戦後、ラジオ受信世帯数は減少しており1946年7月には538万であった。 1950年に「社団法人日本放送協会」が公共企業体としての「特殊法人日本放送協会」に改組され、翌1951年には9月1日朝に中部日本放送(現在のCBCラジオ)、同日昼に新日本放送(現在のMBSラジオ)が日本初の民間放送を開始した。東京では、民間放送の申請を目指す会社が乱立。新聞社系の放送会社の一本化が行われたこともあり、同年12月25日になってラジオ東京(現在のTBSラジオ)に開始された。1953年にはテレビ放送も開始されたが、白米10kg680円、銭湯の入浴料15円程度だった時代にテレビ受像機の価格は20 - 30万円程度と高価で一般には買えず、ラジオが一家の主役であり続けた。 民間放送開始以前にはラジオ受信機の所持には政府の許可が必要であり、聴取料を納める必要があったが、無料で聴ける放送の開始によってラジオへの関心が高まり、『初歩のラジオ』『模型とラジオ』など少年向けのラジオ製作雑誌が相次いで創刊された。当時は物品税が高価で、メーカー製完成品を購入するよりは秋葉原などから真空管などの部品を買い集めて自作したほうが安かったために、受信機を製作する人が多かった。彼らは「少年技師(後のラジオ少年)」とも呼ばれ、高度成長期の日本のエレクトロニクス産業の発展の基礎を作る要因の一つともなった。 1955年には東京通信工業が日本初のトランジスタラジオを発売。1958年11月にはラジオ受信契約数が1481万件を越えピークとなった。しかし、当時の皇太子・明仁親王が1959年に正田美智子と結婚しパレードのテレビ中継が行なわれたのをきっかけに、テレビ受像機が普及し始め、ラジオは斜陽化の時代を迎える。 超短波を使用したFMラジオ放送については、1957年12月にNHK-FMが東京で試験放送を開始し、翌1958年12月には学校法人東海大学により、放送教育を目的とした「東海大学超短波放送実験局」が放送を開始した。1960年には日本最初の民放FM局であるFM東海となり、1970年には同局を引き継ぐ形でFM東京が開局している。
※この「1945年 - 1959年」の解説は、「ラジオ」の解説の一部です。
「1945年 - 1959年」を含む「ラジオ」の記事については、「ラジオ」の概要を参照ください。
- 1945年 - 1959年のページへのリンク