1938 FIFAワールドカップ
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1938 FIFAワールドカップ 1938 FIFA World Cup Coupe du monde de football de 1938 |
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大会概要 | |
開催国 | ![]() |
日程 | 1938年6月4日 - 6月19日 |
チーム数 | 15 (4連盟) |
開催地数 | 10 (9都市) |
大会結果 | |
優勝 | ![]() |
準優勝 | ![]() |
3位 | ![]() |
4位 | ![]() |
大会統計 | |
試合数 | 18試合 |
ゴール数 | 84点 (1試合平均 4.67点) |
総入場者数 | 375,700人 (1試合平均 20,872人) |
得点王 | ![]() |
< 19341950 > |
1938 FIFAワールドカップ(英語: 1938 FIFA World Cup)は、1938年6月4日から6月19日にかけて、フランスで開催された第3回目のFIFAワールドカップである。
予選
出場国
出場選手は1938 FIFAワールドカップ参加チームを参照。
大陸連盟 | 出場 枠数 |
予選 | 組 予選順位 |
出場国・地域 | 出場回数 | |
---|---|---|---|---|---|---|
UEFA/CAF | 2+11[1] | 開催国 | ![]() |
3大会連続3回目 | ||
前回優勝国 | ![]() |
2大会連続2回目 | ||||
欧州予選 | 1組 | 1位 | ![]() |
2大会連続2回目 | ||
2位 | ![]() |
2大会連続2回目 | ||||
2組 | 1位 | ![]() |
初出場 | |||
3組 | 1位 | ![]() |
初出場 | |||
4組 | 1位 | ![]() |
3大会連続3回目 | |||
5組 | 1位 | ![]() |
2大会連続2回目 | |||
6組 | 1位 | ![]() |
2大会連続2回目 | |||
7組 | 1位 | ![]() |
2大会連続2回目 | |||
9組 | 1位 | ![]() |
2大会連続2回目 | |||
2位 | ![]() |
3大会連続3回目 | ||||
CONMEBOL | 1 | 南米予選 | 10組 | 1位 | ![]() |
3大会連続3回目 |
CONCACAF | 1 | 北中米カリブ海予選 | 11組 | 1位 | ![]() |
初出場 |
AFC | 1 | アジア予選 | 12組 | 1位 | ![]() |
初出場 |
本大会
概要
開催国がフランスに決定したのは、ジュール・リメ(第3代国際サッカー連盟(FIFA)会長)の功績を称えるためというのが一般的な説である[2]。FIFAの2大会連続でヨーロッパで開催するという決定は、大会が2つの大陸の間で交互に行われると考えていた南アメリカで大問題になり、ウルグアイとアルゼンチンが参加を辞退した[2]。
開催国と前回優勝国が自動的に予選を免除された初めての大会であり、フランスとイタリア以外の14カ国が予選を突破した。オーストリア代表は予選を通過したが、大会の3か月前に国家がドイツに併合されたため、スウェーデンが代わりに準々決勝から参加した[3]。優勝候補の一つでもあったオーストリア代表の主力はドイツ代表に選出されたが、先発出場する11人の過半数がオーストリア出身にならないように配慮された[4]。1回戦の5つの試合が延長戦になり、さらに2試合が再試合となった。再試合のスイス対ドイツ戦は4対2でスイスが勝ち抜き、もう1試合ではキューバがルーマニアを下した。
スウェーデンは途中からの参加となったが、キューバを8対0で下し、実力を発揮した。フランスはイタリアに敗れ、スイスはハンガリーに敗れた。チェコスロバキアはブラジルを再試合まで持ち込んだが、再試合でブラジルに2対1で敗れている。
ハンガリーは準決勝でスウェーデンを5対1で下し、イタリア対ブラジル戦は2対1でイタリアが勝利した。3位決定戦はブラジルがスウェーデンを4対2で下した。
決勝戦はパリのコロンブ・スタジアムで行われた。ヴィットーリオ・ポッツォに指揮されたイタリアが、始めにリードを奪ったが、2分以内にハンガリーが追いついた。イタリアはその後2点を追加し、前半終了時点で3対1とリードしていた。後半は両チームが1点ずつ加点し、イタリアが4対2でワールドカップ初の連覇を達成した。
この大会は第二次世界大戦前最後のワールドカップで、次に開催されたのは12年後の1950年である。
会場一覧
コロンブ (パリ郊外) |
マルセイユ | パリ | ボルドー |
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スタッド・オランピック・ド・コロンブ | スタッド・ヴェロドローム | パルク・デ・プランス | パルク・レスキュール |
収容人数: 60,000人 | 収容人数: 48,000人 | 収容人数: 40,000人 | 収容人数: 34,694人 |
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ストラスブール | ル・アーヴル | ||
スタッド・ドゥ・ラ・メノー | スタッド・ジュール・デシャソー | ||
収容人数: 30,000人 | 収容人数: 22,000人 | ||
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||
ランス | トゥールーズ | リール | アンティーブ |
ヴェロドローム・ミュニパル | スタッド・シャプー | スタッド・ヴィクトル・ブケイ | スタッド・ドゥ・フォール・キャレ |
収容人数: 21,684人 | 収容人数: 15,000人 | 収容人数: 15,000人 | 収容人数: 7,000人 |
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結果
ラウンド16 | 準々決勝 | 準決勝 | 決勝 | |||||||||||
6月4日 - パリ (再試合 6月9日) |
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1 (2) | |||||||||||||
6月12日 - リール | ||||||||||||||
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1 (4) | |||||||||||||
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0 | |||||||||||||
6月5日 - ランス | ||||||||||||||
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2 | |||||||||||||
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6 | |||||||||||||
6月16日 - パリ | ||||||||||||||
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0 | |||||||||||||
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5 | |||||||||||||
6月5日 - リヨン | ||||||||||||||
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1 | |||||||||||||
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w/o | |||||||||||||
6月12日 - アンティーブ | ||||||||||||||
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- | |||||||||||||
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8 | |||||||||||||
6月5日 - トゥールーズ (再試合 6月9日) |
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0 | |||||||||||||
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3 (2) | |||||||||||||
6月19日 - パリ | ||||||||||||||
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3 (1) | |||||||||||||
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2 | |||||||||||||
6月5日 - パリ | ||||||||||||||
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4 | |||||||||||||
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3 | |||||||||||||
6月12日 - パリ | ||||||||||||||
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1 | |||||||||||||
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1 | |||||||||||||
6月5日 - マルセイユ | ||||||||||||||
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3 | |||||||||||||
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2 | |||||||||||||
6月16日 - マルセイユ | ||||||||||||||
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1 | |||||||||||||
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2 | |||||||||||||
6月5日 - ストラスブール | ||||||||||||||
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1 | 3位決定戦 | ||||||||||||
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6 | |||||||||||||
6月12日 - ボルドー (再試合 6月14日) |
6月19日 - ボルドー | |||||||||||||
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5 | |||||||||||||
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1 (2) | ![]() |
2 | |||||||||||
6月5日 - ル・アーヴル | ||||||||||||||
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1 (1) | ![]() |
4 | |||||||||||
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3 | |||||||||||||
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0 | |||||||||||||
1回戦
ブラジル ![]() |
6 - 5 (延長) |
![]() |
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レオニダス ![]() ロメウ ![]() ペラーシオ ![]() |
レポート | シェルフケ ![]() ヴィリモフスキ ![]() |
再試合
準々決勝
再試合
準決勝
3位決定戦
決勝
|
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優勝国
1938 FIFAワールドカップ優勝国 |
---|
![]() イタリア 2大会連続2回目 |
得点ランキング
順位 | 選手名 | 国籍 | 得点数 |
---|---|---|---|
1 | レオニダス | ![]() |
7 |
2 | シャーロシ・ジェルジ | ![]() |
5 |
ジェンゲッレール・ジュラ | ![]() |
||
シルヴィオ・ピオラ | ![]() |
||
5 | ジーノ・コラウッシ | ![]() |
4 |
エルンスト・ヴィリモフスキ | ![]() |
||
7 | ロメウ | ![]() |
3 |
ペラシオ | ![]() |
||
アンデション | ![]() |
||
アルネ・ニーベリ | ![]() |
||
グスタフ・ヴェッテルストレム | ![]() |
||
アンドレ・アベッグレン | ![]() |
||
ソコロ | ![]() |
脚注
参考文献
- 千田善『ワールドカップの世界史』みすず書房〈理想の教室〉、2006年4月。ISBN 4622083191。
外部リンク
- 1938 FIFA World Cup France - FIFA.com
- RSSSFによる記録
「1938 サッカー・ワールドカップ」の例文・使い方・用例・文例
- 白亜紀以来絶滅したと考えられた魚だが、1938年にアフリカの海岸沖で発見された
- トルコの政治家で、カリフ統治を撤廃して、現代の非神政国家として、トルコを設立した(1881年−1938年)
- 米国のテニス・プレーヤーで、1938年にオーストラリア、フランス、英国、米国の同じ年のシングルス選手権で初めて優勝した(1915年−2000年)
- チェコの作家で、英語へ『ロボット』という言葉を取り入れた(1890年−1938年)
- 米国の法律家で、勝目のないものの弁護で有名(1857年−1938年)
- デンマーク人の医師、細菌学者で、バクテリアを染色して区別する方法を開発した(1853年−1938年)
- 太陽黒点が強い磁場と関係しているということを発見した米国の天文学者(1868年−1938年)
- ドイツの哲学者で、現象論を発展させた(1859年−1938年)
- 1975年以来スペインの王(1938年生まれ)
- ドイツの表現主義の画家(1880年−1938年)
- 米国の料理人で、免疫のある腸チフス保菌者であり、何十人もの人々に感染させた(1870年−1938年)
- ロシアの詩人で、収容所で死んだ(1891年−1938年)
- ロシアのダンサー(1938年生まれ)で、しばしばデイム・マーゴ・フォンテーンのパートナーであり、1961年、米国に亡命した
- 米国の作家(1938年生まれ)
- 米国のジャズ音楽家で、ルイ・アームストロングの音楽スタイルに影響を与えた(1885年−1938年)
- 米国のバスケットボールのガード(1938年生まれ)
- ロシアの俳優、舞台演出家で、俳優を彼らの役柄に対する心理的なモチベーションを強調するために訓練した(1863年−1938年)
- 米国の作家(1860年−1938年)
- 米国の作家で、彼の自伝小説によってよく知られる(1900年−1938年)
- 米国の映画女優(1938年−1981年)
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