1906年全米選手権 (テニス)
(1906 U.S. National Championships (tennis) から転送)
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1906年全米選手権(1906ねんぜんべいせんしゅけん)に関する記事。
大会の流れ
- 1881年から1967年まで、全米選手権は各部門が個別の名称を持ち、大会会場も別々のテニスクラブで開かれた。これが他の3つのテニス4大大会と大きく異なる点である。
- 男子シングルス 名称:全米シングルス選手権(U.S. National Singles Championship)/会場:ロードアイランド州、ニューポート・カジノ (最初の会場、1914年まで)
- 男子ダブルス 名称:全米ダブルス選手権(U.S. National Doubles Championship)/会場:ロードアイランド州、ニューポート・カジノ (最初の会場に戻る。1894年-1914年まで)
- 女子シングルス 名称:全米女子シングルス選手権(U.S. Women's National Singles Championship)/会場:ペンシルベニア州、フィラデルフィア・クリケット・クラブ (女子部門競技はすべてこの会場、1887年-1920年まで)
- 女子ダブルス 名称:全米女子ダブルス選手権(U.S. Women's National Doubles Championship)/会場:フィラデルフィア・クリケット・クラブ (1889年-1920年まで)
- 混合ダブルス 名称:全米混合ダブルス選手権(U.S. Mixed Doubles Championship)/会場:フィラデルフィア・クリケット・クラブ (1892年-1920年まで)
- 男女シングルスでは、「チャレンジ・ラウンド」(Challenge Round, 挑戦者決定戦)と「オールカマーズ・ファイナル」(All-Comers Final)で優勝を決定した。男子シングルスでは第4回大会の1884年から実施されてきたが、女子シングルスは第2回競技の1888年から行われた。
- 大会前年度優勝者を除く選手は「チャレンジ・ラウンド」に出場し、前年度優勝者への挑戦権を争う。前年度優勝者は、無条件で「オールカマーズ・ファイナル」に出場できる。チャレンジ・ラウンドの勝者と前年度優勝者による「オールカマーズ・ファイナル」で、当年度の選手権優勝者を決定した。
- この年は、女子シングルスの前年度優勝者エリザベス・ムーアが参加しなかった(現役引退)。前年度優勝者が出場しなかった場合は「オールカマーズ・ファイナル」がなくなるため、チャレンジ・ラウンドの決勝結果を優勝記録表に掲載する。
- 初期の全米選手権のように、外国人出場者が少なかった時期は、地元アメリカ人選手の国籍表示を省略する。
大会前年度優勝者
- 男子シングルス:ビールズ・ライト
- 女子シングルス:エリザベス・ムーア [大会不参加、現役引退]
- 男子ダブルス:ホルコム・ウォード&ビールズ・ライト
- 女子ダブルス:ヘレン・ホーマンズ&キャリー・ニーリー
- 混合ダブルス:クラレンス・ホバート&オーガスタ・シュルツ
男子シングルス
チャレンジラウンド
準々決勝
- ジェッド・ジョーンズ vs. エドガー・レナード 6-2, 6-3, 6-1
- ウィリアム・クローシャー vs. フレッド・アレクサンダー 8-6, 6-2, 4-6, 1-6, 7-5
- カール・ベア vs. ロバート・ルロイ 1-6, 6-4, 6-3, 6-3
- レイモンド・リトル vs. ハロルド・ハケット 6-2, 2-1 (途中棄権)
準決勝
- ウィリアム・クローシャー vs. ジェッド・ジョーンズ 6-3, 6-3, 6-3
- カール・ベア vs. レイモンド・リトル 2-6, 6-2, 6-8, 11-9, 6-4
決勝
- ウィリアム・クローシャー vs. カール・ベア 6-2, 6-4, 6-2
オールカマーズ決勝
- ウィリアム・クローシャー vs. ビールズ・ライト 6-3, 6-0, 6-4 (クローシャーが本大会の優勝者になる)
女子シングルス
チャレンジラウンド
準々決勝
- エディット・ロッチ vs. クローバー・ボルト 6-1, 4-6, 6-0
- ヘレン・ホーマンズ vs. レイチェル・ハーラン 4-6, 6-4, 6-4
- バーサ・タウンゼント vs. ガートルード・フェッターマン 6-1, 6-2
- モード・バーガー=ウォラック vs. アネッタ・マッコール 6-1, 6-0
準決勝
- ヘレン・ホーマンズ vs. エディット・ロッチ 6-2, 6-3
- モード・バーガー=ウォラック vs. バーサ・タウンゼント 6-2, 6-3
決勝
- ヘレン・ホーマンズ vs. モード・バーガー=ウォラック 6-4, 6-3 (ここで優勝決定。ホーマンズが本大会の優勝者になる)
決勝戦の結果
- 男子シングルス:ウィリアム・クローシャー vs. ビールズ・ライト 6-3, 6-0, 6-4 [オールカマーズ決勝]
- 女子シングルス:ヘレン・ホーマンズ vs. モード・バーガー=ウォラック 6-4, 6-3 [チャレンジラウンド決勝]
- 男子ダブルス:ホルコム・ウォード&ビールズ・ライト vs. フレッド・アレクサンダー&ハロルド・ハケット 6-3, 3-6, 6-3, 6-3
- 女子ダブルス:アン・バーデット・コー&エセル・ブリス・プラット vs. ヘレン・ホーマンズ&クローバー・ボルト 6-4, 6-4
- 混合ダブルス:エドワード・デューハースト&サラ・コフィン vs. ウォレス・ジョンソン&マーガレット・ジョンソン 6-3, 7-5
外部リンク
参考文献
- Roger M. Williams, “The U.S. Open: Game, Set, Unmatched”(全米オープン-ゲーム・セット・試合は続く) Time-Life Books, New York (1997) ISBN 0-7835-5260-2 各部門ごとの開催地について、本書の189ページを参照した。
- Bud Collins, “Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3
先代 1906年ウィンブルドン選手権 |
テニス4大大会 1906年 |
次代 1906年オーストラレーシアン選手権 |
先代 1905年全米選手権 (テニス) |
全米オープン 1906年 |
次代 1907年全米選手権 (テニス) |
「1906 U.S. National Championships (tennis)」の例文・使い方・用例・文例
- ロシア領アメリカの首都であり、アラスカの州都として1867年から1906年まで機能したアラスカ南東部の町
- 米国の喜劇女優で、支離滅裂だが、彼女の夫ジョージ・バーンズの冷静沈着なパートナーとして知られる(1906年−1964年)
- 米国の婦人参政権論者(1820年−1906年)
- 米国の歴史家で政治哲学者(ドイツ生まれ)(1906年−1975年)
- 英国の振付師(1906年−1988年)
- 米国の物理学者(ドイツ生まれ)で、天体物理学と核物理学の研究で知られる(1906年−2005年)
- オーストリアの物理学者で、気体運動論に貢献した(1844年−1906年)
- ソ連の政治家で、ソビエト連邦の大統領になった(1906年−1982年)
- フランスのポスト印象主義者画家で、自然で潜在している構造用部品を強調することによってモダンアート(特に立体派)に影響を及ぼした(1839年−1906年)
- 英国の生化学者(ドイツ生まれ)で、1928年にアレクサンダー・フレミングによって発見されたペニシリンを分離、精製した(1906年−1979年)
- 米国の生物学者(ドイツ生まれ)で、ウィルスがどのようにして生きている細胞に感染するかを研究した(1906年−1981年)
- ユダヤ系のフランス人将校で、彼が1894年に反逆罪で不法監禁されたことが、1906年に釈放されるまでフランス政治を支配していたユダヤ人差別の問題を提起した(1859年−1935年)
- 米国の泳者で、1926年に英仏海峡を泳いだ最初の女性(1906年−2003年)
- オーストリア人で、第二次世界大戦中にナチスの役人になり、強制収容所を管理し、そこで何百万人ものユダヤ人が殺害された(1906年−1962年)
- 1964年から1975年までのサウジアラビアの王(1906年−1975年)
- 米国の数学者(オーストリア生まれ)で、公理系の規制を示したことで知られる(1906年−1978年)
- 米国の発明者(ハンガリー生まれ)で、1940年に最初のテレビ放送をして、1948年にLP盤を発明して、ビデオカセット録画を開拓した(1906年−1977年)
- 米国の映画制作者で、米国で生まれ、1964年以降アイルランド市民となった(1906年−1987年)
- 写実的なノルウェーの作家で、社会や政治をテーマに劇を書いた(1828年−1906年)
- 米国の天文学者、航空の先駆者で、ボロメーターを発明し、早期の航空機のデザインに貢献した(1834年−1906年)
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