1676年のシュターデ攻囲戦とは? わかりやすく解説

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1676年のシュターデ攻囲戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/20 15:19 UTC 版)

ブレーメン=フェルデン戦役」の記事における「1676年のシュターデ攻囲戦」の解説

ブレーメンフェルデン分割を巡る同盟各国争議続いたことによって、シュターデにおける攻囲戦始まり1676年の春まで遅延した各国ブレーマーフェルデ諸条件合意したのは、ようやく5月8日のことである。こうしてスウェーデン最後所領対す攻撃は、歩兵16,000名と騎兵4,000をもって実施されることになった攻略後の要塞デンマークブランデンブルクブラウンシュヴァイク=リューネブルクミュンスター等分し占領することとされた。4月初旬リューネブルクのショーヴェ(ドイツ語版中将が町封鎖するべく策を講じる続いてほぼ毎日のように、小競り合いスウェーデン軍出撃発生し、その戦況一進一退であった同時に攻囲軍は、野戦築城開始したシュターデエルベ川支流、シュヴィンゲ川(英語版)の河口にあり、海へ通じている。またスウェーデン要塞施設には、シュヴィンゲ川の河口支配するスカンス(英語版)が含まれていた。その掩護の下、攻囲戦の間に食糧積んだスウェーデン船数隻が町到達し逼迫していた補給届けることができた。シュターデへの出入りを海からも阻止し、より効果的な攻囲を可能とするべく連合軍は、この「シュヴィンゲの砦」の攻略決定する。そのため、グリュックシュタット(英語版)から砲兵隊呼び寄せられた。この他それぞれ大砲18門を備えたリューネブルク艦船2隻がシュヴィンゲ川の河口に入る。これらの準備阻止するため、スウェーデン軍試みた出撃全て撃退された。連合軍次第に砦へと接近し砲台を築くとそこからスウェーデン軍陣地継続的な射撃実施した4月23日スウェーデン軍騎兵300をもって改め出撃敢行し、最初成功収めたものの、同時代史料拠れば46名の犠牲出して押し戻される。7月4日には連合軍野戦築城完成し、シュヴィンゲの砦に激し砲撃加えた結果、およそ100名の守備隊降伏した。 この失陥によって、海からシュターデ補給を送ることはもはや不可能になった。そして風向恵まれず足止めされたスウェーデン艦3隻と、補給物資兵員乗せた6隻の輸送船がシュヴィンゲの河口到着すると、それらは岸辺設置され連合軍砲台から砲撃されるスウェーデン艦隊シュターデからの後退余儀なくされ、周辺数度襲撃敢行した後、やむなくエルベ川離れた全ての補給絶たれシュターデ要塞状況著しく悪化する赤痢発生により、守備隊兵力およそ3,000名まで減少した。また物資窮乏により、その士気落ちる。2回にわたってスウェーデン兵は反乱起こしたが、それを鎮めるには抑圧的な手段用いるしかなかった。ドイツ人傭兵脱走規模増し、もはや出撃による能動的な防戦不可となった6月連合軍による塹壕掘削作業は町の堀に到達するほど進展した兵力を保つべく、町に突入せず兵糧攻め実施するという意図から砲撃行われなかった。一方スウェーデン守備隊講じた対策は、管理していた水門開き周辺水没させることであった。しかし攻囲軍は、二つ運河からエルベ川へと流すことに成功する。 町の補給状況日増しに深刻化すると、市民守備隊ホルン総督攻囲軍との交渉強いたその折衝は7月23日に始まる。しかし、それはより厳しい条件であるにも拘らずカトリックミュンスター軍よりもプロテスタントリューネブルク軍を占領軍として優先したい住民の強い要請によって長引いた交渉結果、町はショーヴェ中将率いリューネブルク軍、9個中隊によって占領されることになったドイツ人傭兵は、スウェーデン軍における隊務取り消さなくてはならなかった。1676年8月13日早朝ホルン元帥大砲10門とスウェーデン800名を率いて撤収する。ドイツ人傭兵1,400名は「収容」、もしくは釈放された。これによって、連合軍ブレーメンフェルデンにおけるスウェーデン最後拠点手中に収めのである

※この「1676年のシュターデ攻囲戦」の解説は、「ブレーメン=フェルデン戦役」の解説の一部です。
「1676年のシュターデ攻囲戦」を含む「ブレーメン=フェルデン戦役」の記事については、「ブレーメン=フェルデン戦役」の概要を参照ください。

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