1000年-1199年
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年 高麗 中国及び周辺国 高麗王 1009年 康兆の政変(康兆の乱)。武臣・康兆が王権交代を図るが、後に契丹に殺される。 1010年 第2次契丹(遼)の侵入『契丹の聖宗(位982~1031)が大軍で侵入』 高麗軍は首都開城を明け渡す。 1011年 高麗の顕宗 講和 1014年 高麗の賊が九州に攻め寄せ、大宰府が討伐する。 1015年 遼の侵略 1016年 北宋から冊封 、朝貢, 北宋の正朔を奉じる 1018年 後渤海国滅亡。 遼を一時撃退。 1019年 第3次契丹(遼)の侵入 刀伊の入寇(50余隻の船団が来襲し、壱岐、対馬、筑前糸島、志摩・早良諸郡で殺戮) 1020年 高麗と遼の間に講和、朝貢, 遼の分暦 1022年 契丹の正朔を奉じる。再び契丹に服属 1033年 西北境に長城の築造(-1034年) 1037年 契丹の侵略 1039年 奴婢従母法 1046年 長子相続法 1076年 田柴科制 1097年 異賊船100隻が日本松浦・筑前に攻め寄せる。大宰府官兵・九州軍士これを撃退。 1107年 高麗睿宗 咸興平野の女真を攻撃し、九城を築く 1115年 女真 按出虎水の河畔で「金」を建国 1116年 渤海人高永昌(在位 1116)「大渤海」を建国、皇帝と称するも金に滅ぼさる。 1123年 仁宗 1125年 金、遼(契丹)を滅ぼす。 1126年 李資謙の乱 →李資謙、王毒殺の嫌疑で霊光郡に流される。高麗国王・仁宗 金に服属高麗は金国の藩となる(西夏藩・高麗藩・斉藩) 1127年 金は宋都開封を陥落させて北宋王朝陥落 1135年 平壌(高麗藩の西京)で妙清の乱僧の妙清は遷都賛成派、 遷都反対派の金富軾で争う。遷都反対派(開城文臣)の勝利で決着。 1138年 金国 南宋国の臨安(杭州)紹興~明州(寧波)を陥落させる。 1145年 朝鮮史書「三国史記」が完成 1146年 毅宗 1157年 金国 会寧から燕京へ遷都 1170年 重臣の鄭仲夫が反乱を起こし(庚寅の乱)、毅宗を廃し明宗をたてる(武臣政権の始まり)。実権は鄭仲夫、慶大升、崔忠献らが握る。毅宗は廃王となり、釜山沖の巨済島に流される。 明宗 1194年 1196年 崔忠献が政権を掌握(武臣一族・李氏を滅ぼす)1219年に崔忠献は死去するが、1258年まで4代62年の長きにわたって続く 1197年 崔忠献 明宗を廃位 神宗を王位につける 神宗 1198年 開城、私奴の万積らの反乱 溟州(江陵)、東京(慶州)、陜州等各地で反乱
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