須川湖 (長野県)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 須川湖 (長野県)の意味・解説 

須川湖 (長野県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 10:07 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
須川湖
所在地 長野県上田市大字諏訪形字須川
面積 0.1 km2
周囲長 3 km
最大水深 4.6 m
水面の標高 700 m
成因 人造湖
淡水・汽水 淡水
プロジェクト 地形
テンプレートを表示

須川湖(すがわこ)は、長野県上田市大字諏訪形字須川[1]にある江戸時代、もとだったところを改修して現在の姿になった[2]

概要

上田市中心市街地から長野県道186号上田塩川線を丸子(旧・小県郡丸子町)方面に進むと須川湖に至る。小牧山の山中、標高およそ700メートルの地点にあり、面積10万平方メートル、周囲長3キロメートル、水深は最大で4.6メートルである[3]。周囲はカラマツが明るい森林をつくり、植物の種類も数多い[2]。北の山には源義仲(木曾義仲)の築いたがあったという[4]

古くはの三方を山で囲まれた小さなであったが、1654年承応3年)から1657年明暦3年)にかけて農業用水確保のため西側に粘土)を盛り立て、ため池として改修された。仙石氏上田藩の藩主を務めていた時代のことである。こうして誕生した湖水は、周辺集落の自給自足生活を支える水源として利用された[1][2]

になると湖面が結氷し、スケートリンクとしても利用された。当地を一躍有名にしたのが1953年昭和28年)に当地で開催された第21回全日本スピードスケート選手権大会である。その後もオール信州スケート大会や上田市民スケート大会が開催されたほか、小・中学生のスケート教室としても利用された[3]。しかし、結氷期間はそれほど長いものではなく、人工スケートリンクの開設や暖冬の影響もあって衰退し、1975年(昭和50年)ごろスケートリンクが廃止された[5]。その後は釣りボートなどレジャー開発に力が入れられ、モーテル別荘テニスコートゴルフ場などが整備された[3]

伝承

須川湖の沈み鐘
須川湖の底に信濃国分寺が沈んでいるという民話。国分寺にあった鐘の音色に魅せられた男がその鐘を盗み出したが、追っ手に気づくと鐘を須川湖に投げ捨てて逃げうせた。この鐘が元あった国分寺恋しさのあまり夜ごと鳴り出すという[7]

脚注

  1. ^ a b 『長野県の湖沼』166ページ。
  2. ^ a b c 『長野県の湖沼』120ページ。
  3. ^ a b c 『長野県大百科事典』423ページ。
  4. ^ 現地案内板より。
  5. ^ 『上田市誌 近現代編 (4) 変わる人や物の流れ』204ページ。
  6. ^ 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成(1975年度撮影)
  7. ^ 現地案内板および「上田市役所 - 須川公園」(2010年10月18日閲覧)より。

参考文献

  • 赤木秀雄編著『長野県の湖沼』新井大正堂、1987年
  • 上田市誌編さん委員会編『上田市誌 近現代編 (4) 変わる人や物の流れ』上田市刊行会、2003年
  • 信濃毎日新聞社開発局出版部編『長野県百科事典』信濃毎日新聞社、1974年

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「須川湖 (長野県)」の関連用語

須川湖 (長野県)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



須川湖 (長野県)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの須川湖 (長野県) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS