音楽の中のポー
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「エドガー・アラン・ポー」の記事における「音楽の中のポー」の解説
ポー作品の音楽化は20世紀に入ってから始まる。ポーの作品をボードレールの翻訳を通して耽読していたクロード・ドビュッシーは「鐘楼の悪魔」と「アッシャー家の崩壊」のオペラ化を試みており、特に後者は1890年代にすでに着想していたものだったが、台本は完成したものの曲のほうは作者の死によって未完となった。これについてはジュアン・アジェンド=ブリンやロバート・オーリッジによる補筆版が存在する。またリカルド・ビニェスに教えられてポーの作品を耽読していたモーリス・ラヴェルは、ポー作品に基づく曲はないものの、ポーのエッセイ「構成の哲理」を作曲の原理にも応用できるものとして捉え影響を受けていた。 フランスではこのほかにフローラン・シュミットの交響的エチュード「幽霊宮殿」(1900年-1904年)やアンドレ・カプレのハープとオーケストラのための作品「赤死病の仮面」(1908年-1909年。1919年に弦楽四重奏とペダル・ハープ用に編曲)があり、1913年にはアンリエット・ルニエが「告げ口心臓」からヒントを得たハープのための楽曲「幻想的バラード」を作曲している。イギリスでは作曲家ジョセフ・ホルブルックが交響詩「大鴉」(1900年)、オーケストラのための前奏曲「鐘」(1903年)、バレエ音楽「赤死病の仮面」など、ポー作品に基づいて30以上の曲を作っている。ロシアではニコライ・ミャスコフスキーに「大鴉」に寄せた「交響詩 静寂作品9」(1909年-1910年)が、セルゲイ・ラフマニノフに、象徴派詩人コンスタンチン・バリモントの翻訳による「鐘楼の悪魔」を基にした独唱と合唱とオーケストラのための作品「鐘」(1913年)がある。 1913年以降はポーの音楽化の試みは一時途絶え、日本の三善晃が1969年に劇音楽『赤き死の仮面I』、1970年に『赤き死の仮面II』を、1984年になって新実徳英が男声合唱曲「The Bells -鐘の音を聴け-」を、ロシアのニキタ・コシュキンがギター独奏曲「アッシャー・ワルツ」を書いており、アメリカのフィリップ・グラスも1987年に2幕のオペラ「アッシャー家の崩壊」を作曲している。また、2010年にはなかにしあかねの訳詞・作曲による混声合唱組曲『ポーの鐘』(カワイ出版刊)が初演されている。 一方、ポピュラー音楽においては1960年代から盛んにポー作品からインスピレーションを受けた楽曲が作られており、アイアン・メイデンの「モルグ街の殺人」(『キラーズ』収録)、エムシー・ラーズの「ミスター大鴉」、アラン・パーソンズ・プロジェクトのコンセプトアルバム『怪奇と幻想の物語―エドガー・アラン・ポーの世界』、同メンバーのひとりエリック・ウルフソンによる続編的アルバム『Poe: More Tales of Mystery and Imagination』、ルー・リードのアルバム『ザ・レイヴン』などがあるほか、ビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」、ジョーン・バエズの「アナベル・リー」、グリーンデイの「セイント・ジミー」、マリアナス・トレンチの「Phantoms」、パブリック・エネミーの「テロ屋敷にようこそ」、宇多田ヒカルの「クレムリン・ダスク」などにポーやその作品への言及が見られる。85年にはドイツのバンドプロパガンダが「夢の中の夢」を朗読した曲をファーストアルバムに収録し、ブリトニー・スピアーズもツアー「夢の中の夢」でポー作品を使用している。更に、1990年代にはポーに心酔し彼からアーティスト名を借りたPoe(英語版)というシンガーソングライターが、2005年にはポーの文学を歌詞のテーマにした A Dream of Poe というゴシック/ドゥームメタルバンドがそれぞれデビューしている。またマリリン・マンソンはポーへの心酔を語っており、その結婚式はエドガー・アラン・ポー風とメディアに報じられた。マンソンはポーの水彩画を描くなどもしており、インタビューでポー作品を基にした映画を作りたいと語ったこともある。
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