集積回路の誕生
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実際に集積回路を考案したのは、レーダー科学者ジェフリー・ダマー(英語版)(1909年生まれ)であった。彼はイギリス国防省の王立レーダー施設で働き、1952年5月7日ワシントンD.C.でそのアイデアを公表した。しかし、ダマーは1956年、そのような回路を作ることに失敗した。各企業は集積回路の実現を目指して、RCAのマイクロモジュール、ウェスティングハウス・エレクトリックのモレキュラーエレクトロニクス、テキサス・インスツルメンツのソリッドステートサーキットが開発された。 初期の集積回路の概念は、モノリシックICというより後のハイブリッドICに近いもので、この概念にしたがって、基板に真空蒸着で抵抗素子やコンデンサを形成してトランジスタと組み合わせる薄膜集積回路や、現在のプリンテッドエレクトロニクスに相当する印刷技術により抵抗や配線、コンデンサなどを1枚のセラミック基板上に集積した厚膜集積回路が開発されていった。 また、1958年にはウェスティングハウスから「Molectronics」という名称の集積回路の概念が発表され、1960年2月にSemiconductor Product誌に掲載された記事に触発されて、電気試験所でも同年12月に、見方次第ではマルチチップ構造のハイブリッドICともいえる、ゲルマニウムのペレット3個を約1 cm角の樹脂容器に平行に配列した集積回路の試作に成功した。 1961年2月には、ウェスティングハウスと技術提携した三菱電機から、11種類のモレクトロンが発表された。日本で最初のモノリシック集積回路は、東京大学と日本電気 (NEC) の共同開発とされる。 著名な集積回路の特許は、アメリカ合衆国の別々の2つの企業の、2人の研究者による異なった発明にそれぞれ発行された。テキサス・インスツルメンツのジャック・キルビーの特許「Miniaturized electronic circuits」は1959年2月に出願され、1964年6月に特許となった (アメリカ合衆国特許第3,138,743号)。フェアチャイルドセミコンダクターのロバート・ノイスの特許「Semiconductor device-and-lead structure」は1959年7月に出願され、1961年4月に特許となった(アメリカ合衆国特許第2,981,877号)。しかし、「キルビー特許紛争」などと呼ばれるように(ちなみに「キルビー特許」に対し、ノイスの特許は「プレーナー特許」と呼ばれることがある)多くの議論を発生させることとなった。 技術的な内容とはほぼ無関係に、業界の権益争いとして、特許優先権委員会においてどちらの特許が「集積回路の特許として有効であるか」を、法的に認定させる争いが勃発した(技術的な判断が目的なのではなく、あくまで「法的にどちらが有効か」を認めさせることが目的である)。キルビーの特許出願から10年10か月を経て決着し、ノイスの勝利が確定した。しかし、そのような法的勝利は、実際にはほとんど意味がなかった。 ライセンスビジネス的には、1966年にテキサス・インスツルメンツとフェアチャイルドセミコンダクターを含む十数社のエレクトロニクス企業が、集積回路のライセンス供与について合意に達していたからであり、技術と法律とビジネスというものについて、教訓的な事例となっている。またさらに日本では、20年の紆余曲折を経て1989年に特許となったことで、莫大な額の請求等を伴う紛争となり「サブマリン特許制度」のタチの悪さを際立たせるという役割を担う結果となった。 キルビーとノイスは後に、ともに国民栄誉賞を受け、同時に全米発明家の栄誉の殿堂入りをした。
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