長浜トンネルとは? わかりやすく解説

長浜トンネル(有間川駅 - 谷浜駅)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:23 UTC 版)

頸城トンネル」の記事における「長浜トンネル(有間川駅 - 谷浜駅)」の解説

長浜トンネルは旧線長浜トンネルに並行して新設される、糸魚川駅 - 直江津駅間で最も短いトンネル完成時延長1,158 m)であり、土被りが浅いために大部分風化層を掘削する必要があったものの、他の区間比較して良質な地層であり、前述した施工にあたっての技術的問題点もないトンネルとされていた。工事三井建設請負1966年昭和41年7月25日着手し直江津坑口から掘削開始した掘削は底設導坑先進上部断面掘削逆巻方式採用した。 しかし、1967年昭和42年1月20日2225分ごろ、直江津坑口から136.0〜156.4 m 間(米原起点356 km 992 m)地点突如崩壊発生し上部断面延長20.4 m)、底設導坑(24.0 m)が埋没した。これにより当時支保工変状の為補強支保工の建て込み実施していた作業員10名(上部断面6名、底設導坑4名)が巻き込まれこのうち上部断面で5名が埋没した埋没逃れた5名は崩壊後まもなく底設導坑のエアパイプを通じて生存確認され、エアパイプで照明電灯線、食糧衣類毛布送られた。救助糸魚川駅 - 直江津駅間でトンネル施工していた全12請負業者から延べ347名の応援を受け、上部断面山側と底設導坑海側に救助坑を掘削し事故から82時間後の1月24日9時10分に生存者上部救出坑から救出された。なお、埋没した5名は、2名が生存者救出時、残る3名が救助作業後の底設導坑復旧時にいずれも遺体として収容された。 当時支保工に鋼アーチ支保工採用されるようになり落盤事故減少していたことと、同区間入念な事前調査によりルート選定設計実施していたこともあり、この事故関係者国鉄大きな衝撃与えたこのため応急救助作業終了後部内外の権威者による「北陸本線長浜ずい道事故技術調査委員会」が設置され同年2月4日から2月15日にかけ特別委員委員による現地視察行った事故技術調査委員会では同年6月19日事故原因について結論出し掘削により地盤坑口方向クリープする現象により泥岩亀裂面の隙間大きくなり、山のゆるみが促進されたこと、崩壊箇所付近局部的に特に弱い風化層がトンネル天端から上方約5〜6 mの位置まで及んでおり、ゆるみが上部まで及び、加えて同年1月15日から17日にかけての積雪1.4 m)が17日以降気温上昇により融け地山のゆるみを促進させたことにより、急激に支保工にかかる土圧増加し瞬間的に崩壊したものとしている。また、白井那須2000)では、事故技術調査委員会指摘加え崩壊箇所付近の小断層を境に地質力学的特性異なっていた(手前第三期風化泥岩、奥が第三期泥岩)ことも指摘している。 なお、掘削含めた工事1968年昭和43年7月24日竣工し、他区間先駆けて複線供用開始している。

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