糸魚川駅 - 直江津駅間線増・電化工事の完成
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「頸城トンネル」の記事における「糸魚川駅 - 直江津駅間線増・電化工事の完成」の解説
頸城トンネルをはじめとした糸魚川駅 - 直江津駅間の線増工事は、長浜トンネルを含む有間川駅 - 谷浜駅間が1968年(昭和43年)9月25日に複線化されたことを皮切りに、翌1969年(昭和44年)には、6月4日に糸魚川駅 - 梶屋敷駅間、6月19日に梶屋敷駅 - 浦本駅間が線増により複線化され、残る新線区間についても同年8月10日に頸城トンネルを含む糸魚川駅 - 有間川駅間の新線で習熟運転が開始された。そして同年9月29日に頸城トンネル含む浦本駅 - 有間川駅間、谷浜駅 - 直江津駅間の新線切替、糸魚川駅 - 直江津駅間電化が行われ、これにより北陸本線は線増工事開始当初の計画であった1969年秋に全線の複線電化を達成した。 本区間の線増・電化工事には工費210億円、延べ作業人員350万人、このうち線増工事だけで工費200億円、延べ作業人員約250万人におよび、セメント13万t、鋼材2万t が費やされ、コンクリート打設量は50万m3、掘削量150万m3に及んだ。また、一連の工事では長浜トンネル崩落による5名を含め25名の犠牲者が発生した。 開業に先立つ1969年(昭和44年)9月10日に能生駅構内において工事碑および慰霊碑の除幕式がそれぞれ国鉄岐阜工事局長松本有、犠牲者遺族の手で行われた。なお、工事碑には松本による以下の文が刻まれている。 糸魚川 直江津間線増工事は大正二年以来 地辷り 雪 波浪 急曲線に悩まされ続けてきた暗い鉄道を 明るい鉄道に変革するためにおこなわれたこの工事の完成によって 多くの人々の苦悩を解消したことは偉大である英知と情熱を頸城の地底にたたきこんで この偉大さを実現した人々を永久に讃えるためにこれを建つ昭和四十四年九月十日 — 松本有(国鉄岐阜工事局長)、糸魚川・直江津間線増工事碑
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