糸魚川駅 - 直江津駅間線増・電化工事の完成とは? わかりやすく解説

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糸魚川駅 - 直江津駅間線増・電化工事の完成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 07:39 UTC 版)

頸城トンネル」の記事における「糸魚川駅 - 直江津駅間線増・電化工事の完成」の解説

頸城トンネルをはじめとした糸魚川駅 - 直江津駅間の線増工事は、長浜トンネルを含む有間川駅 - 谷浜駅間が1968年昭和43年9月25日複線化されたことを皮切りに、翌1969年昭和44年)には、6月4日糸魚川駅 - 梶屋敷駅間、6月19日梶屋敷駅 - 浦本駅間が線増により複線化され、残る新線区間についても同年8月10日頸城トンネルを含む糸魚川駅 - 有間川駅間の新線習熟運転開始された。そして同年9月29日頸城トンネル含む浦本駅 - 有間川駅間、谷浜駅 - 直江津駅間の新線切替糸魚川駅 - 直江津駅電化が行われ、これにより北陸本線は線増工事開始当初計画であった1969年秋に全線複線電化達成した。 本区間の線増・電化工事には工費210億円、延べ作業人員350万人このうち線増工事だけで工費200億円、延べ作業人員250万人におよび、セメント13t、鋼材2万t が費やされコンクリート打設量は50m3、掘削150m3に及んだまた、一連の工事では長浜トンネル崩落による5名を含め25名の犠牲者発生した開業先立つ1969年昭和44年9月10日能生駅構内において工事碑および慰霊碑除幕式それぞれ国鉄岐阜工事局長松本有犠牲者遺族の手行われた。なお、工事碑には松本による以下の文が刻まれている。 糸魚川 直江津間線増工事大正二年以来 地辷り 雪 波浪 急曲線悩まされ続けてきた暗い鉄道を 明るい鉄道に変革するためにおこなわれたこの工事完成によって 多く人々苦悩解消したことは偉大である英知情熱頸城地底にたたきこんで この偉大さ実現した人々永久に讃えるためにこれを建つ昭和四十四九月十日 — 松本有(国鉄岐阜工事局長)、糸魚川直江津間線増工事

※この「糸魚川駅 - 直江津駅間線増・電化工事の完成」の解説は、「頸城トンネル」の解説の一部です。
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