糸魚川駅 - 直江津駅間の複線化計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 07:39 UTC 版)
「頸城トンネル」の記事における「糸魚川駅 - 直江津駅間の複線化計画」の解説
急増する輸送需要に応えるため、国鉄では1954年(昭和29年)の米原駅 - 長浜駅間複線化を皮切りに、1957年(昭和32年)の田村駅 - 敦賀駅間交流電化などの輸送力増強に着手した。戦災復興が一段落した1957年(昭和32年)には同年を初年度とする輸送力増強・近代化のための大規模投資計画「第1次5か年計画」を策定して幹線の複線化・電化が進められ、北陸本線も米原駅 - 富山操車場(現:富山貨物駅)間を中心に北陸トンネル建設(1962年完成)など隘路区間の線増が順次着工された。 その後は所得倍増計画の推進に関連して1961年(昭和36年)に「第2次5か年計画」を策定し、引き続き線増・電化等により輸送量がひっ迫しつつある各幹線の抜本的な改善を行うこととなった。「第2次5か年計画」は輸送力増強の対象に富山操車場 - 直江津駅間も含まれることとなり、策定時点では、その5か年で米原駅 - 富山駅間の複線化達成、以東の部分複線化(将来的には全線複線化)が考えられていた。その一環として糸魚川駅 - 直江津駅間は浦本駅 - 名立駅間、郷津駅 - 直江津駅間の部分線増計画が上がっていたが、実際には同区間に応急的に3か所(木浦・百川・西名立)の信号場を1964年(昭和39年)までに計画・設置したのみで、本格的な線増工事は着工に至れないままであった。これは投資資金の不足に加え、以下の問題によるものであった。
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