糸魚川駅 - 直江津駅間線増工事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 07:39 UTC 版)
「頸城トンネル」の記事における「糸魚川駅 - 直江津駅間線増工事」の解説
「第2次5か年計画」は計画を達成しないまま、1965年(昭和40年)で打ち切られ、新たに策定された、同年を初年度とする「第3次長期計画」に引き続き主要幹線の複線化・電化が盛り込まれた。この計画は1970年(昭和45年)度末までに全国で約3,300 km を複線化、それに対応して約3,100 kmを電化する、というもので、線増工事を重点的に工事を推進する路線として、東北・上越・信越・中央の各線区とともに北陸本線が挙げられた。これら線区では全線もしくは一部区間の複線化を1968年(昭和43年)度末までにおおむね完成させることを目途とし、うち北陸本線における線増は上記までに「おおむね全線複線」とする計画であった。 しかし、北陸本線において初年度時点で複線化を完了していたのは、全線357 km のうち50パーセントほど(約175 km)に過ぎず、そのすべてが富山操車場以東の区間(238.8 km)におけるものであった。残る区間は富山操車場 - 糸魚川駅間が「第2次5か年計画」から引き継いだ親不知トンネル・新子不知トンネルなど、輸送上の隘路となる区間を中心に線増・電化工事が進められ、初年度の1965年(昭和40年)9月30日に単線区間を残しながらも糸魚川までの一部複線化・交流電化が実施されたが、糸魚川駅以東は前述の線増案が決定したのみで新線はおろか現在線線増すら着工していない状況であり、計画の達成のためには早急な着工が迫られた。最終的に北陸本線糸魚川 - 直江津間線増工事は当初地元に示した計画から2年遅れる1966年(昭和41年)3月に着工し、完成目標は1969年(昭和44年)秋とされた。
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