糺の森を詠んだ歌など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 04:14 UTC 版)
糺の森は古くより人々に親しまれ、多くの古典に名を残している。その一部を掲載する。 憂き世をば今ぞ別るるとどまらむ名をば糺の神にまかせて — 紫式部『源氏物語』(十二帖「須磨」) 作中、光源氏がしがらみ多く辛い世の中(都)を離れて須磨へと下る。都に残す自分の名、人の噂のなりゆきは糺の神に委ねよう、と下鴨の神を拝して詠んだ歌。また『源氏物語』には九帖「葵」があるが、この巻名は光源氏の正妻である葵の上とともに、物語の舞台となる葵祭を受けた名称でもある。 いかにしていかに知らまし偽りを空に糺の神なかりせば — 中宮定子『枕草子』 糺の神がおわすのでなければ、どうしてあなたの偽りを知ることができようか、の意。 人知れず心糺の神ならば思ふ心を空に知らむ — 小野篁『新古今和歌集』 「十月に賀茂にまうでたりしに、ほかのもみぢはみな散りたるに、中の御社のが、まだ散らでありしに、」 — 赤染衛門『赤染衛門集』 10月の頃に下鴨神社に詣でたところ、京都の他の場所の紅葉はすでに散ってしまっていたが、糺の森の紅葉はまだ残っていた、という糺の森の遅い紅葉を詠んだ歌。歌集の成立年は定かでないが、1044年(寛徳元年) - 1053年(天喜元年)頃といわれる。 石川や瀬見の小川の清ければ月も流れをたづねてぞすむ — 鴨長明『新古今和歌集』 下鴨神社の歌合の場にて、下鴨神社の祀官であった鴨長明が瀬見の小川の水鏡に映る月光の美しさを詠んだ歌。この歌を詠んだ長明であるが、賀茂川(の支流)が瀬見の小川と呼ばれる事を他の参加者が知らなかったために、歌合の場では負けを喫した。後に長明は賀茂社の縁起にその旨の記述がある事を公にし、神社の秘事を軽々しく開示するとは何事か、という賀茂社の神職たちの批判を浴びながらも、自歌が正しかったことを主張した。この短歌は人々の人気を博し、後に撰された『新古今和歌集』に収録されるに至っている。 君がため今日のみそぎに泉河万代すめと祈りつるかな — 藤原俊成『新続古今和歌集』 風そよぐ楢の小川の夕暮れは御禊ぞ夏のしるしなりける — 藤原家隆『新勅撰和歌集』 奈良の小川で行われる夏越の祓を詠んだ歌。『小倉百人一首』にも選ばれている。
※この「糺の森を詠んだ歌など」の解説は、「糺の森」の解説の一部です。
「糺の森を詠んだ歌など」を含む「糺の森」の記事については、「糺の森」の概要を参照ください。
- 糺の森を詠んだ歌などのページへのリンク