長崎電気軌道800形
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「東京都交通局3000形電車」の記事における「長崎電気軌道800形」の解説
1972年(昭和47年)11月に廃車となった3000形のうち5両(3145・3215・3240 - 3242)が長崎電気軌道に譲渡され、同社の800形となった。購入価格は1両当たり238万円。 同社では1968年頃(昭和43年)より長崎市北部の終着駅赤迫から北に1.6kmの道の尾地区、もしくは北西に3.2kmの滑石地区までの路線延伸を検討中で、仮に滑石延伸が実現した場合、5両から14両程度車両を調達する必要があり、本形式の導入に至った。譲受した5両のうち3両(3240 - 3242)は3000形の最終増備車で側窓は9枚、大型の行先表示器や蛍光灯の車内灯を備えた車両であった。 廃車翌月の1972年12月6日から8日かけて浦上車庫に搬入された。800形と同様に都電から譲受した700形(元都電2000形)は、搬入前に九州車両にてワンマン化改造と台車の改造(都電と長崎電軌では軌間が異なる)を施されての搬入であったのに対し、本形式はワンマン化改造は施されず、台車も西鉄より購入した中古台車に振り替えた上での搬入となった。長崎到着後、当時同社工場にて在籍車両のワンマン化改造が進行中であったことや、前述の延伸計画が滑石付近の道路幅員の問題で進展しなかったことから本形式の改造は半ば放置された。 譲受から3年後の1975年(昭和50年)11月に3145が側窓上部の固定化を施され800形801として竣工、試運転の際は都電時代のまま走行した。翌1976年(昭和51年)4月には3215も同様の改造を施され802として竣工した。これら2両は塗装こそ同社の標準塗装(クリームとグリーンのツートン)に塗り替えられたものの、ツーマン車として竣工している(ワンマン化は認可されていた)。 未入籍の3両(3240 - 3242)も同社の標準塗装へ塗り替えられ、車体にも802から通しの番号(803 - 805)が記入され改造・入籍待ちとなっていたが、802が竣工した1976年に、仙台市電よりワンマン運転対応の100形(後に同社1050形)の譲受が決まったことから3両の改造は事実上中止となり、車体は浦上車庫の片隅で倉庫として留置された。 入籍した2両も、同社の自社発注車と比較してやや大型であることから運用はラッシュ時に限られ、同社のワンマン化推進もあり稼働率は低かった。1981年(昭和56年)には集電装置がZパンタグラフに交換され、802のみ側窓がアルミサッシとなった。 1982年(昭和57年)7月23日に発生した長崎大水害では、未入籍車も含め全車が浦上車庫に留置中に被災、走行不能となった。被災前より老朽化が進んでいたことや、水害直後の8月に冷房付きの1200形が入線したことから復旧は見送られ、801・802共に同年9月6日付で廃車となり12月に解体。未入籍の3両も11月に解体された。解体後、一部の部品が長崎市内のレストラン「きっちん・せいじ」に保存されていたが、同店は2017年12月に閉店した。
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