長崎電気軌道800形とは? わかりやすく解説

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長崎電気軌道800形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 02:10 UTC 版)

東京都交通局3000形電車」の記事における「長崎電気軌道800形」の解説

1972年昭和47年11月廃車となった3000形のうち5両(3145・3215・3240 - 3242)が長崎電気軌道譲渡され同社800形となった購入価格は1両当たり238万円同社では1968年頃(昭和43年)より長崎市北部終着駅赤迫から北に1.6kmの道の尾地区もしくは北西に3.2kmの滑石地区までの路線延伸検討中で、仮に滑石延伸実現した場合、5両から14程度車両調達する必要があり、本形式導入至った譲受した5両のうち3両(3240 - 3242)は3000形最終増備車で側窓は9大型行先表示器蛍光灯車内灯を備えた車両であった廃車翌月1972年12月6日から8日かけて浦上車庫搬入された。800形同様に都電から譲受した700形(元都電2000形)は、搬入前に九州車両にてワンマン化改造台車の改造都電長崎電軌では軌間異なる)を施されての搬入であったのに対し、本形式ワンマン化改造施されず、台車西鉄より購入した中古台車振り替えた上で搬入となった長崎到着後、当時同社工場にて在籍車両ワンマン化改造進行中であったことや、前述延伸計画滑石付近道路幅員問題進展しなかったことから本形式改造半ば放置された。 譲受から3年後1975年昭和50年11月に3145が側窓上部固定化施され800形801として竣工試運転の際は都電時代のまま走行した。翌1976年昭和51年4月には3215も同様の改造施され802として竣工した。これら2両は塗装こそ同社標準塗装クリームグリーンツートン)に塗り替えられたものの、ツーマン車として竣工している(ワンマン化は認可されていた)。 未入籍の3両(3240 - 3242)も同社標準塗装塗り替えられ車体にも802から通し番号(803 - 805)が記入され改造入籍待ちとなっていたが、802竣工した1976年に、仙台市電よりワンマン運転対応の100形(後に同社1050形)の譲受決まったことから3両の改造事実上中止となり、車体浦上車庫片隅倉庫として留置された。 入籍した2両も、同社自社発注車比較してやや大型であることから運用ラッシュ時限られ同社ワンマン推進もあり稼働率低かった1981年昭和56年)には集電装置がZパンタグラフ交換され802のみ側窓がアルミサッシとなった1982年昭和57年7月23日発生した長崎大水害では、未入籍車も含め全車浦上車庫留置中に被災走行不能となった被災前より老朽化進んでいたことや、水害直後8月冷房付き1200形入線したことから復旧見送られ801・802共に同年9月6日付で廃車となり12月解体。未入籍の3両も11月解体された。解体後一部部品長崎市内のレストランきっちん・せいじ」に保存されていたが、同店は2017年12月閉店した

※この「長崎電気軌道800形」の解説は、「東京都交通局3000形電車」の解説の一部です。
「長崎電気軌道800形」を含む「東京都交通局3000形電車」の記事については、「東京都交通局3000形電車」の概要を参照ください。

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