長崎電気瓦斯の成立
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長崎電灯と九州瓦斯は、1914年(大正3年)4月30日、合併仮契約を締結した。電灯とガス灯という照明の供給で両社は長年競合関係にあったが、競争で両社の利益を損なっていたことから日本商業銀行の仲介で合併が決まった。合併前の時点で長崎電灯の資本金は100万円、九州瓦斯の資本金は50万円である。合併は両社解散して新会社を設立する新設合併によるもので、新たに「長崎電気瓦斯株式会社」を資本金216万円(全額払込済み)で設立するとされた。その合併条件は、 長崎電灯株主に対しては額面50円払込済み株式(旧株)1株につき新会社株式2株、37円50銭払込み株式(新株)1株につき新会社株式1.5株を交付する。交付株式数は計3万2000株(資本金160万円分)。 九州瓦斯株主に対しては額面50円払込済み株式(旧株・新株)1株に対し新会社株式金1.12株を交付する。交付株式数は計1万1200株(資本金56万円分)。 というものであった。両社はそれぞれ1914年5月18日株主総会で合併を議決。そして同年7月23日、出島内外倶楽部にて新会社の創立総会が開催され、長崎電気瓦斯株式会社が発足した。社長には旧長崎電灯社長の古賀春一が就任。取締役には旧九州瓦斯社長の太田清蔵のほか横山寅一郎・橋本辰二郎らが就いた。 新会社発足から1年後の1915年(大正4年)11月、大正天皇の御大典が行われた。この御大典を記念して長崎電気瓦斯は電灯の勧誘に努めたところ、増灯や高燭化(明るい電球への切り替え)が相次ぎ、半年間で5000灯を超える増灯を達成して11月末時点での電灯数は7万9337灯(需要家数2万8509戸)に達した。加えて官庁・領事館・会社・商店などからの希望に応じて御大典奉祝臨時灯を4700灯点灯したが、それでも材料や時間が足らず申し込みを謝絶した結果の灯数であるという。また電力供給も大口需要家である長崎紡績への供給増加や新たに開業した長崎電気軌道(11月16日開業)への供給などで増加し、11月末までの半年間で1.2倍に拡がり供給数は1,089馬力となった。 一方ガス供給は、1915年11月末の時点で需要家数2,986戸・供給口数1万2977口(照明用8,250口・熱用4,727口、ほかに動力用44馬力および街灯56基あり)で熱用は増加傾向の一方照明用は減少傾向にあった。合併後に勃発した第一次世界大戦の影響でガス管や器具類の価格が高騰したことから、長崎電気瓦斯では照明用途にはガス灯ではなく電灯を勧める方針を採っていたためである。また大戦の影響で化学薬品の価格が高騰したのを機にコールタールの蒸留装置を新設、11月1日より蒸留作業を開始しベンゼン・トルエン・ナフタレン・精留タール・タールピッチなどの製造を開始した。 なお1915年11月期(下期)の決算では、総収入29万9千円のうち電灯・電力収入は25万7千円、ガス収入は3万0千円であり、ガス事業よりも電気事業の方が大規模であったといえる。
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