長崎銀座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 10:05 UTC 版)
1614年(慶長19年)(設立時期は諸説あり確定的でない)に長崎芊(すすき)原、後に大村町、島原町北入込に設立された銀座は、主に銀の海外への不正持ち出しの監視、良質灰吹銀輸出の防止の役割を果たし、京の銀座より銀見役および銀座手代が一年毎に交代派遣された。銀座役所は表間口9間、奥行12間で、オランダ人が丁銀を中国に輸出する銀錠に吹替えるための錠吹屋は表間口13間3尺9寸、奥行3間4尺〜4間2尺2寸であった。 銀山から山出しされた灰吹銀は原則として銀座が買上、丁銀に鋳造することになっていたが、灰吹銀を銀座に売り渡さず直接長崎に送り利益を得る者が続出した。そのため幕府は慶長14年(1609年)に灰吹銀輸出を禁止、慶長銀で決済するよう定め、監視を強めた。しかし銅を20%含有する、より品位の低い慶長銀により決済しなければならないというものは、外国人にとって甚だ迷惑なものであり、上銀に精錬し直さなければならず、良質灰吹銀に偽造の慶長銀の極印を打ち「似せ大黒」を作成し、輸出するといったことも行われ、相当量の灰吹銀が監視の目を逃れて不正に持ち出され流出した。 寛政12年(1800年)の銀座改革に伴い廃止された。
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