那智参詣曼荼羅と熊野比丘尼とは? わかりやすく解説

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那智参詣曼荼羅と熊野比丘尼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 23:33 UTC 版)

那智参詣曼荼羅」の記事における「那智参詣曼荼羅と熊野比丘尼」の解説

熊野比丘尼」および「熊野観心十界曼荼羅」も参照 主として16世紀から17世紀にかけて、霊場神社・寺院)へ参詣者を勧誘する目的をもって作製され一群絵図を、社寺参詣曼荼羅総称する社寺参詣曼荼羅は、霊場もとより縁起譚仏事神事のような宗教的な事物から、参詣習俗周辺の名所旧跡のような世俗的な事物までが描きこまれるという特色があり、描写対象となっている霊場の名で呼ばれるなかでも熊野那智山描いたものを那智参詣曼荼羅という。作例として36点が確認されており、現存する150例余の参詣曼荼羅作例の中で、1種参詣曼荼羅作例としては突出して多い。これらは、室町時代末期から近世にかけての多数作例知られている(→#那智参詣曼荼羅の作例)。いかなる受容のされ方をしたのかを示す直接的な史料はいまだ発見されていないが、いくつかの傍証から熊野比丘尼くまのびくに)による絵解き用いられていたことは間違いない考えられている。 熊野比丘尼とは、熊野三山本願所本寺として、その組織統制服する僧形女性聖職者比丘尼)である。熊野比丘尼は、熊野三山造営修復のための勧進にあたる勧進職としての職分本寺より得て各地で貴庶から勧進奉加募っては、本寺送り届けることを務めとした。熊野比丘尼勧進奉加募る手段複数あったと考えられているが、牛玉宝印大黒札配札並んで代表的な手段であったのが、絵解きである。絵解きとは、観衆に対して宗教的絵画提示し説教唱導目的として、絵画内容当意即妙語り説き明かす行為のことである。絵解き具体的な様相伝え絵画史料として住吉大社祭礼屏風』(フリーア美術館所蔵)がある。『住吉大社祭礼屏風』の中で、熊野比丘尼と見られる女性剃りあげた頭に頭巾をまとい、観衆に対して絵図掲げ、手にした指し棒指している。彼女が指す絵図中央にある月輪囲まれ「心」一文字と、絵図上方描かれている、人物円弧状にならぶ坂道が目を惹く。この絵図は『熊野観心十界曼荼羅』(地獄絵熊野の絵)と呼ばれ全国数十例の作例発見されている。那智参詣曼荼羅のうちかなりの作例熊野観心十界曼荼羅セット発見されていることから、熊野観心十界曼荼羅同じく熊野比丘尼によって絵解きされたものと考えられている。 絵解き用いられたと考えられる根拠として、いま一つあげられるのがその形状と材質である。那智参詣曼荼羅多く紙本著色で、作例いくつか折り畳まれた形で発見されている。作例なかには吊り下げることを念頭に置いてのことか、上辺一対の輪(乳〈ち〉)が取り付けられた例も見受けられるこうした折り畳み痕跡熊野観心十界曼荼羅においても見られる折り畳み言うまでもなく、紙の傷み早め保存にとっては妨げである。しかし、熊野比丘尼によって持ち運ばれる絵解き題材という、いわば実用的性格帯びた絵画という意味では、携行を常として、それに便利なように折り畳まれることは最初から当然の前提であった考えられている。 この曼荼羅描かれているのは、補陀洛渡海那智滝年中行事那智社殿妙法山といった那智山をめぐる宗教的な要素、そして聖地における様々な人物たちである(→#構成要素)。これら諸要素は、巧み配置施され(→#三つ対立軸)、曼荼羅作製受容された中世末期から近世初期にかけての宗教的観念前提とした図像織り込まれている(→#浄土図像)。また、道と川(滝)、そして道を歩く人物たちの動線も、それらを観衆たどらせることで、聖地再構成しつつ曼荼羅世界に誘うよう配置されている(→#聖地再構成)。この曼荼羅絵解かれた民衆多くは、現実には熊野赴くことは叶わなかったと考えられている。だが、この曼荼羅絵解き通じて眼前再構成された聖地をたどり、聖地への巡礼追体験した考えられている(→#「巡礼者」の行方)。 この曼荼羅歴史的に先行する熊野曼荼羅および宮曼荼羅から発展してきたものだが、それらとは異な特徴有している。熊野曼荼羅描かれ本地仏垂迹神は全く描かれず、宮曼荼羅比べて参詣風俗伝説縁起譚比重高く、また絵解かれることを目的としているといった点がそうである(→#起源)。こうした相違は、那智参詣曼荼羅製作者あるいは作製主体が、社家ではなく本願であることに由来している(→#作製主体)。 絵画として那智参詣曼荼羅は、泥絵具画材とする大量生産品で、絵師落款無く描写稚拙であると評され美術史においては省みられてこなかった。しかし、絵画などの非文字史料への着目すすんで以降庶民信仰水準における熊野信仰あり方を知る手がかりとして、宗教史国文学宗教学民俗学美術史説話伝承研究といった分野注目集めている。

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