那智参詣曼荼羅と熊野比丘尼
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「熊野比丘尼」および「熊野観心十界曼荼羅」も参照 主として16世紀から17世紀にかけて、霊場(神社・寺院)へ参詣者を勧誘する目的をもって作製された一群の絵図を、社寺参詣曼荼羅と総称する。社寺参詣曼荼羅は、霊場はもとより、縁起譚や仏事・神事のような宗教的な事物から、参詣習俗や周辺の名所旧跡のような世俗的な事物までが描きこまれるという特色があり、描写の対象となっている霊場の名で呼ばれる。なかでも熊野那智山を描いたものを那智参詣曼荼羅という。作例として36点が確認されており、現存する150例余の参詣曼荼羅の作例の中で、1種の参詣曼荼羅の作例としては突出して多い。これらは、室町時代末期から近世にかけての多数の作例が知られている(→#那智参詣曼荼羅の作例)。いかなる受容のされ方をしたのかを示す直接的な史料はいまだ発見されていないが、いくつかの傍証から熊野比丘尼(くまのびくに)による絵解きに用いられていたことは間違いないと考えられている。 熊野比丘尼とは、熊野三山本願所を本寺として、その組織と統制に服する僧形の女性聖職者(比丘尼)である。熊野比丘尼は、熊野三山の造営・修復のための勧進にあたる勧進職としての職分を本寺より得て、各地で貴庶から勧進奉加を募っては、本寺へ送り届けることを務めとした。熊野比丘尼が勧進奉加を募る手段は複数あったと考えられているが、牛玉宝印や大黒札の配札と並んで代表的な手段であったのが、絵解きである。絵解きとは、観衆に対して宗教的絵画を提示し、説教・唱導を目的として、絵画の内容を当意即妙な語りで説き明かす行為のことである。絵解きの具体的な様相を伝える絵画史料として『住吉大社祭礼図屏風』(フリーア美術館所蔵)がある。『住吉大社祭礼図屏風』の中で、熊野比丘尼と見られる女性は剃りあげた頭に頭巾をまとい、観衆に対して絵図を掲げ、手にした指し棒で指している。彼女が指す絵図の中央にある月輪で囲まれた「心」の一文字と、絵図上方に描かれている、人物が円弧状にならぶ坂道が目を惹く。この絵図は『熊野観心十界曼荼羅』(地獄絵、熊野の絵)と呼ばれ、全国で数十例の作例が発見されている。那智参詣曼荼羅のうちかなりの作例が熊野観心十界曼荼羅とセットで発見されていることから、熊野観心十界曼荼羅と同じく熊野比丘尼によって絵解きされたものと考えられている。 絵解きに用いられたと考えられる根拠として、いま一つあげられるのがその形状と材質である。那智参詣曼荼羅の多くは紙本著色で、作例のいくつかは折り畳まれた形で発見されている。作例のなかには吊り下げることを念頭に置いてのことか、上辺に一対の輪(乳〈ち〉)が取り付けられた例も見受けられる。こうした折り畳みの痕跡は熊野観心十界曼荼羅においても見られる。折り畳みは言うまでもなく、紙の傷みを早め、保存にとっては妨げである。しかし、熊野比丘尼によって持ち運ばれる絵解きの題材という、いわば実用的性格を帯びた絵画という意味では、携行を常として、それに便利なように折り畳まれることは最初から当然の前提であったと考えられている。 この曼荼羅に描かれているのは、補陀洛渡海、那智滝、年中行事、那智社社殿、妙法山といった那智山をめぐる宗教的な要素、そして聖地における様々な人物たちである(→#構成要素)。これら諸要素は、巧みな配置を施され(→#三つの対立軸)、曼荼羅が作製・受容された中世末期から近世初期にかけての宗教的観念を前提とした図像が織り込まれている(→#浄土の図像)。また、道と川(滝)、そして道を歩く人物たちの動線も、それらを観衆にたどらせることで、聖地を再構成しつつ曼荼羅の世界に誘うよう配置されている(→#聖地の再構成)。この曼荼羅を絵解かれた民衆の多くは、現実には熊野へ赴くことは叶わなかったと考えられている。だが、この曼荼羅の絵解きを通じて、眼前に再構成された聖地をたどり、聖地への巡礼を追体験したと考えられている(→#「巡礼者」の行方)。 この曼荼羅は歴史的に先行する熊野曼荼羅および宮曼荼羅から発展してきたものだが、それらとは異なる特徴を有している。熊野曼荼羅で描かれた本地仏・垂迹神は全く描かれず、宮曼荼羅に比べても参詣風俗、伝説、縁起譚の比重が高く、また絵解かれることを目的としているといった点がそうである(→#起源)。こうした相違は、那智参詣曼荼羅の製作者あるいは作製主体が、社家ではなく本願であることに由来している(→#作製主体)。 絵画としての那智参詣曼荼羅は、泥絵具を画材とする大量生産品で、絵師の落款も無く、描写が稚拙であると評されて美術史においては省みられてこなかった。しかし、絵画などの非文字史料への着目がすすんで以降、庶民信仰の水準における熊野信仰のあり方を知る手がかりとして、宗教史、国文学、宗教学、民俗学、美術史、説話伝承研究といった分野で注目を集めている。
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