那智の田楽と扇祭とは? わかりやすく解説

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那智の田楽と扇祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/17 13:16 UTC 版)

那智の田楽」の記事における「那智の田楽と扇祭」の解説

前述のように那智の田楽には田植え模倣的表現をほとんど欠いているが、同じく扇祭にて演じられる田植舞・田刈舞は田遊びとしての性格色濃く備えたのであるだけでなく、農耕儀礼として意味づけられる今日扇祭において、密接な意味的関連有している。すなわち、田植舞と田刈舞は祭り中核というべき扇神輿渡御式をはさむ順序田植舞 - 扇神輿渡御式 - 田刈舞)で演じられるだけでなく、本来の演者山麓市野々集落住人であったという点も含めて田植田刈模倣儀礼解される点で対照をなしている。 田楽演者少なくとも江戸時代までは、那智滝本の修験者かその類縁担われてきたことが、多く根拠から推測されている。『田楽要録』を著して近世那智の田楽の姿を伝え大正復興大きな寄与があった潮崎幹済・潮崎泰済の両氏那智滝執行司った尊勝院潮崎氏の関係者である。『那智大社文書所収明和5年1786年)付の記録には、田楽所役として執行実方院をはじめ滝衆の名が連ねられている。この他にも、寛永5年享保15年1730年)の田楽曲目書にも滝衆の名が挙げられており、そのこと他の史料によっても裏付けられる。こうした点から、江戸時代には那智修験者である滝衆が那智の田楽管理・運営、あるいは上演にまで深く関与していた可能性指摘されている。今日扇祭においては修験の姿を見出せるのは、わずかに八咫烏帽をかぶった権宮司司るいくつかの儀礼にとどまるとはいえ、火の操作としての修験者かつては深く関与していたことは確かである。 今日演目は、前述の『田楽要録』に従って行われており、同記録の内容は『那智叢書』に収載されている。扇祭の中で演じられることから、那智の田楽もまた扇祭りと同じく五穀豊穣祈念する農業神事の一環として性格帯びると考えられているが、復興以後のみをとっても両者の関係流動的である。7月14日例大祭式次第大和舞田楽田植舞の順序として知られているが、大正以降記録中には異な順序伝えるものがある。 また、田植舞の演者扇祭において松明担い手となるのに対し田楽演者比較近年までは「有志」と位置づけられ、例大祭本体には参加していなかった。こうした事情から、田楽例大祭全体の意味体系の中での位置付けは明確ではない。扇神輿渡御式がかつて行われていた6月14日18日観音縁日初め終わりであることや、田楽上演されていた場所が如意輪堂青岸渡寺)の前であったことは、田楽観音奉納されていたことを推測させる。今日扇祭の意味体系の中で、那智の田楽農耕儀礼一環として解釈されている。しかしながら修験の祭として扇祭把握する視点や、那智観音霊場としての性格考慮に入れるとき、その性格はなお検討されるべき余地があると考えられている。

※この「那智の田楽と扇祭」の解説は、「那智の田楽」の解説の一部です。
「那智の田楽と扇祭」を含む「那智の田楽」の記事については、「那智の田楽」の概要を参照ください。

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