近代以前の芸能
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:26 UTC 版)
古くは、芸能は神事から発達したものであった。神懸かりの巫女の口から発せられる神託の言葉が人々への言祝ぎになったのが神楽などの原形である。日本土着の宗教である神道は大嘗祭、新嘗祭などにみられるように農耕信仰の要素を持っており、田楽などが派生し世阿弥らによって能・狂言などに受け継ぎ発展された。 農村社会が永らく続いた日本においては、成人するまでに村社会において必要なさまざまな実力を身につけることが求められ、周囲の仲間と同等の仕事、例えば重い米俵を担げる、同じ早さで稲刈りができるといった必要な能力を身に着け損ねた者は、大工や鳶といった職業集団や旅芸人などへ身売りされるといった側面もあった。江戸時代には武士・農民・町人(いわゆる士農工商)の身分外の存在として差別される形となって記録されている。同時代、歌舞伎が反社会的なものと見なされながらも発展し、遊郭の遊女は芸能的才能を持っていたため「芸者」とも呼ばれ、外国語で“ゲイシャ”というイメージの元となっている。 現代のようにマネジメント等を専門に引き受ける会社がなかった時代、基本的には師匠に弟子入りし、師の元で研鑽に励むことで芸を受け継ぎ、自分のものにしてゆくのが典型的な方式であったが、世阿弥の例に見られるように時の将軍の覚えめでたく、破格の待遇をもって当時最高峰の知識人であった一流の貴族から直接教養を授かるチャンスに恵まれたことを生かして、自らの技を高めその奥義を記す迄に至った場合もある。また、猿楽、田楽といった庶民的なものも含め活動の場はもっぱら舞台しかなく、他者と技を競うといった機会も限られることから自らが必死に研鑽に努めたとしても生活の保障などは期待できなかった。かつては琵琶法師や座頭のような障害者も『平家物語』など口承文芸を謡うことで民衆の宗教心をもとに生活を立てていくことが可能であったが、近世に入って世俗化が進むようになると生計を立てるのは苦しくなっていった。
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