転形論争
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ポール・スウィージーが第二次大戦中に公刊した『資本主義発展の理論』(1942年)において、先のボルトケヴィッチの数理的なアプローチを、ボルトケヴィッチ自身の意図に反して、むしろ転形問題への有力な解決方法として取り上げたため、ここに転形論争が巻き起こった。森嶋通夫とカテフォレスは、この論争が「事実上経済学のあらゆる分野での最も長い論争のひとつ」と評価した。 永田聖二は「転形論争は、スウイージーの問題提起に発した1950年代の第1期と、1960年のスラッファ『商品による商品の生産』刊行の洗礼を受けたのち、『資本論』100周年を契機とする、いわゆるマルクス・ルネッサンスに触発されて展開された、1970年代の第2期に分けることができる」 としている。 第1期は、第二次大戦後しばらく主としてイギリスの『エコノミック・ジャーナル』誌上などを中心に行われた。その主な論客として、ドッブ、ウィンターニッツ、ミーク、シートンなどが知られている。 第2期は、1960年代から70年代にかけてであり、この論争は、ポール・サミュエルソン等もコメントを寄せるなどの広がりを見せ、今日に至っても多くの研究成果が発表されるフィールドとなっている。同時期には日本でも活発な論争が見られた。価値から生産価格への転形に当たって、マルクス自身は価値実体説に基づき、総資本対総労働の立場から妥当する労働価値論から個別資本の競争を考察する生産価格に転化しても、 総生産物の価値=総生産価格 総剰余価値=総利潤 の2命題が成立すると主張した しかし、これは総生産物と総純生産物とが比例する場合、あるいは労働価値と生産価格とが比例する場合(たとえば、資本の有機的構成が等しい場合)などの条件がない場合)には一般には成立しない。このような分析には森嶋通夫・置塩信雄ら数理マルクス経済学の貢献が大きかった。一時期、価値から生産価格を求める手続きの存在をもって、価値が生産価格より根本的なものであるという主張もあったが、これも任意の正ベクトルから出発しても同じ生産価格に収束することが示され、マルクスの当初の意図が実現しないことが判明した。 1980年代以降、欧米の転形論争は第3期に入ったといわれる。その中心議論は、新解釈New Interpretationおよび単一体系解釈Single System Interpretationである(Simultaneous SSIとTemporal SSIとの対立などといった当事者以外には理解しがたい対立まで生まれている)。LipietzやFoleyらは、マルクスの価値概念は総資本における「集計量」として捉えるべきものであり、個別商品の価値という概念を価値規定の中から排除している。 竹田茂夫 は、単一体系解釈は、労働価値説というより対応労働価値論と考えるのが公平であろうと指摘している。吉村信之 は、「単一体系に特有の概念は、必然的に、投下された労働が生産体系や賃金財にどのように反映されているのかという中身を欠いた、総付加価値(価格)と社会的労働との比率を示すそれ自体としては無内容な符号とならざるを得ない」(p.84)と批判している。「新解釈」および「単一体系解釈」は、日本でも研究されてつつあるが、批判的な論説もすくなくない。
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