日本における転形論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 05:30 UTC 版)
日本では、すでに戦前に小泉信三と櫛田民蔵の間でベーム・バヴェルクとヒルファーディングの論争をほぼそのまま踏まえた論争が行われていた。 戦後においても欧米での転形論争の影響を受け、1950年代終わり頃から1970年代にかけて、主としてマルクス経済学者を中心にこの問題に対する研究成果が多く発表された。初期の論争に関するものとしては、櫻井毅の回顧がある。 転形問題に対するアプローチは、「歴史的転形」による解法を除けば、ボルトケヴィッチ・スウィージー以来の価値と価格の間の数理的な問題とするものと、価値体系と価格体系の相違の問題とするものがある。日本においては、前者のアプローチとしては置塩信雄の解法 が、後者のアプローチとしては「価値は価格としてしか現れ得ない」以上両者に矛盾はないはずであり、マルクスのそもそもの問いのたて方を疑問視する桜井毅等のものが知られている。置塩信夫の立場では、労働価値と価格(交換価格あるいは生産価格)とは比例的である必要はない。任意の価格体系のもとに、労働者が購入する財(賃金財バスケット)の労働価値は、その購入に当たって働かねばならなかった労働時間より小さい(置塩による「マルクスの基本定理」。) 宇野弘蔵は、日本における『資本論』解釈における新境地を開拓し、いわゆる宇野学派を形成した。宇野は、「相対的価値にある商品にはその所有者があることを明確にしたほうがよい」 とし、価値実体の究明は価値形態の展開後に行なうべきものとした。宇野は、「資本家が労働者の剰余労働によって獲得する剰余価値は、各資本家によってその資本の額によって平均的に分配せられるために、その生産物は、その価値によらないでいわゆる生産価格によって売買させられることになる」 と結論付けたが、これは価値が生産価格へ転形する道筋を示しただけで、転形問題を解決するものではなかった。 宇野の後継者達は、宇野が残した曖昧な点を再解釈すべく、多くの論文を生産した。その中で注目されるのが、山口重克の「資本一般」論的観点と「競争」論的観点 という区別である。この区別に従えば、『資本論』第I巻と第II巻とは「資本一般」論的観点からの分析であり、第III巻は「競争」論的観点にたつものであり、価値や交換を見る視点もおのずから異なるものとなり、基本的には転形問題は存在しないものとなる。『資本論』第I巻は剰余価値の生産が問題であり、それは「資本一般」論的観点からなされる。このとき、労働者が賃金により買い戻す商品の労働価値が労働時間そのものより小さいことが剰余価値生産の必要十分条件となる。これは、置塩による「マルクスの基本定理」ほど明確なものではないが、基本定理とほぼ同様の事態を考察しているものである。近年、欧米で流行している単一体系説は、山口重克の区別を使えば、「資本一般」論的観点にたつ分析というに過ぎない。しかし、観点の相違を明確にしても、マルクスが『資本論』第I巻第一編で問題にした交換価値を規定するものとしての価値が労働価値とするとき、それが生産価格と比例しない問題は依然として残っている。 以上の状況にたいしユニークな主張を展開しているのが塩沢由典である。塩沢は、著書『リカード貿易問題の最終解決』 の第4章第1節において、なぜマルクス経済学系統の国際価値論が発展しなかったかの原因をマルクスの『資本論』にまでさかのぼって検討し、マルクスが価値実体として労働を取り出した推論過程そのものに問題があるとしている。『資本論』の当初の目的は、一定の抽象水準において、安定した交換価値を想定し、それを価値と呼んだはずなのに、いつのまにかその立場を離れて、交換価値と比例しない労働投入量自体を持ち込んだことが問題である。塩沢によると、労働力商品をのぞく諸商は、資本家の視点から交換比率を考えるべきであり、その観点を維持すると、労働価値ではなく、生産価格、より正確にはピエロ・スラッファが『商品による商品の生産』で定式化した価格=価値を始めから採用すべきであり、労働価値から生産価格への転形=転化という問題は、そもそも成立しない。小幡道昭は、やや不明確ではあるが、『資本論』冒頭の価値論では、労働価値ではなく生産価格で十分であると考えている点で、塩沢の主張に近い
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