赤坂の戦いとは? わかりやすく解説

赤坂の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:00 UTC 版)

元寇」の記事における「赤坂の戦い」の解説

早良郡から上陸した元軍は、早良郡百道原より約3km東の赤坂占領し陣を布いた博多西部位置する赤坂丘陵となっており、古代には大津城築かれ近世至って福岡城築かれるなど博多攻防戦略上の重要拠点であった一方日本軍総大将少弐景資の下、博多の息の浜に集結して、そこで元軍を迎撃しようと待ち受けていた。日本側が博多で元軍を迎え撃つ作戦立てた理由は、元軍が陣を布く赤坂馬の足場が悪く騎射基本戦法とする日本戦法で戦うには不向きであるため、元軍が博多攻めてくるのを待って一斉に騎射加えようという判断からであった。 ところが、肥後御家人菊池武房軍勢が、赤坂松林のなかに陣を布いた元軍を襲撃し上陸地点早良郡のうちにある麁原(そはら)へと元軍を敗走させた。 なお肥後御家人竹崎季長一党は元軍との会敵求めて西へ移動中に赤坂での戦闘勝利した菊池武房100余騎と遭遇している。

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赤坂の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:12 UTC 版)

赤坂 (北九州市)」の記事における「赤坂の戦い」の解説

1866年慶応2年7月27日赤坂山長州戦争小倉戦争、豊長戦争最大激戦地となる。赤坂の戦い、赤坂口の戦い赤坂山戦い赤坂合戦赤坂鳥越戦いなどと呼ばれている。小倉戦争における幕府軍は征長軍小倉総督小笠原長行老中)の指揮にあったが、配下幕府陸軍歩兵隊九州諸藩軍とも戦闘参加には極めて消極的で、開戦以来小倉藩軍が単独抗戦強いられている状態だった。長州軍側は海軍総督高杉晋作指揮していた。 小倉戦争は、6月17日長州軍による田ノ浦急襲始まった小倉藩は、征長軍の九州口先鋒として戦備整えていたが、装備旧式であり、また小笠原総督指導力無さから幕府陸軍歩兵隊九州諸藩軍が傍観的な姿勢終始する中で、単独長州側の先制攻撃への抗戦強いられ田ノ浦続いて7月2日-3日大里戦いで苦戦続けていた。大里戦い敗戦後小倉藩防衛体制再編し小倉城防衛上の最重要拠点である赤坂鳥越地区熊本藩軍を配属することとした。 熊本藩細川氏は、小倉藩小笠原氏とは戚族(親族)の関係にあり、全体として参戦消極的な九州諸藩の中では小倉藩最も近い立場にあった軍備近代化進めており、征長軍への参加に際しても、家老長岡監物指揮下にアームストロング砲(8門)や洋式銃などを装備した精鋭派遣していた。この部隊が、延命寺台場を含む赤坂鳥越地区布陣することとなった7月27日に、長州軍は侵攻再開し大里地区から小倉向かった小倉藩軍は抵抗続けたものの、火力の差が大きく後退しながら延命寺台場前面長州軍を誘引した。熊本藩軍はここで長州軍に激し銃砲撃を加えて大打撃与え、更に小倉藩軍が追撃して大里方面まで長州軍を撃退することに成功した。 この戦いで延命寺焼失した小倉戦争初め幕府優位となった戦闘であったが、小笠原総督対す熊本藩軍の不信高まり7月28日熊本藩軍は無断赤坂からの撤退開始し帰国する長岡監物出した支援要請小笠原総督拒絶したこと、熊本軍も少なからぬ被害出ていたことが原因だったとされる長州軍側では、奇兵隊第一小隊隊)隊長山田輔らが戦死した。また奇兵隊軍監として赤坂の戦いに参戦していた山県有朋が後に記した「越の山風」に、同じく参謀として参戦していた時山直八越後長岡藩との朝日山の戦い戦死する前日山県語ったことが記されている。「豈に科らんや此別即ち時山(時山直八)との永訣とならんとは、別に臨んで時山が、明日の戰ひは赤坂の戰ひよりも困難なるべしと語りたる、其の言葉は、今尚余の耳底留まりて、悲酸響き爲し居るなり」 幕府軍から熊本軍が離脱したことで、小倉藩孤立した8月1日小倉藩は自ら小倉城火を放ち香春撤退した

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